日本国産F1エンジンの歴史!ホンダに隠れたヤマハの実力とは・・・

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日本のF1エンジンで真っ先に思い浮かぶのは『ホンダ』でしょう。

1980年代後半から1990年代前半までは、まさしく『最強』の名に

ふさわしいパフォーマンスと結果を残してきました。

そのホンダに隠れていますが、ほかにもF1に参戦していた日本メーカー

があったのです。

ヤマハです。

今回は、そんなヤマハエンジンにスポットをあてご紹介します。

目次

1.ヤマハエンジンの実力:弱き時代

2.ヤマハエンジンの実力:トップチームとの戦い

3.まとめ

1.ヤマハエンジンの実力:弱き時代

ヤマハといえば、二輪のバイクというイメージがあるかもしれません。

最初に、ヤマハエンジンと聞いて、?マークがつきました。

自動車メーカーじゃないのになんでだろうと思ったのです。

ですが、僕自身が知らなかっただけで、ヤマハはF1に参戦する前から

レースに関わっていました。

レーシングカートのマシンとエンジンの開発・製造や全日本F2選手権へ

エンジンを供給する形で参戦しています。

積極的にレースの世界に関わっていたので、F1進出は自然の流れだった

のかもしれません。

そして、『ホンダ』の存在。2輪バイクの世界では熾烈な争いを続けて、

F1の世界でも『打倒・ホンダ』を掲げての参戦だったのかもしれません。

ヤマハはF1ドライバーの鈴木亜久里をサポートしていました。

全日本F3000というカテゴリーでエンジンを供給し、鈴木亜久里をサポート

していたのです。

その鈴木亜久里と共に1989年にF1に参戦。ザクスピードというチームへ

エンジンの供給を開始しました。

ヤマハのパートナーになったザクスピードですが、入賞が通算で1回しかない

チームで、大方の予想通り大苦戦します。

ヤマハも初のF1ということもありエンジンパワーと信頼性に欠けていました。

共にF1に参戦した鈴木亜久里がすべてのレースで予備予選落ちという散々たる

結果に終わっています。

今のF1では考えられませんが、当時のF1には多くのチームが参戦していました。

2018年は10チーム20台ですが、当時は20チーム39台参加していたのです。

なので、予選に参加できるチームを選ぶため『予備予選』があったのです。

この予備予選にはトップチームはもちろん、中堅チームも出ません。

あまり早くない成績下位のチームが参加するのです。

ザクスピード・ヤマハはその予備予選も通過できないチームだったのです。

そのためチームとヤマハは、戦力アップのため、1990年への参戦のため

テスト走行を重ね開発を進めました。

結果、エンジンのパワーアップ・信頼性の向上に成功しましたが、前年の

成績不振からメインスポンサーが下りてしまい、資金難からチームは活動が

出来なくなりF1から撤退しました。

チームの撤退により、ヤマハも一時F1から撤退しますが、F1への復帰のため、

1990年を全てエンジン開発に費やし、1991年にブラバムチームと契約

しF1復帰を果たします。約1年かけて開発したV12エンジン:OX99を

引っ提げて復帰したのでした。

前半戦こそ苦戦したものの、後半戦には2度の入賞を記録。ヤマハにはうれしい

初入賞となりました

翌年1992年は新興チームのジョーダンチームへV12エンジン:OX99

を供給。

さらなる進化を期待されましたが、マシンとのバランスが悪く、入賞はわずか

1回とふるいませんでした。

この年からヤマハは、イギリスのレースエンジンブランドの『ジャッド』と

提携します。

この提携からヤマエンジンは開発スピードが上がり、エンジンパフォーマンス

が向上してきます。

2.ヤマハエンジンの実力:トップチームとの戦い

1993年には前年までのV12エンジンではなく、ジャッドと開発した

V10エンジン:OX10をティレルチームに供給しました。

ティレルチームには日本人ドライバーの『片山右京』が所属しており、

日本コンビが誕生したのでした。

ですが、ティレルチームは資金不足に悩まされており、3年落ちのマシン

で戦わざるを得ない状況でした。当然良い結果を残せるわけもなく、

またしても散々たる結果に終わるのですが、この年から日本企業が

ティレルチームのスポンサードを開始します。

1994年はヤマハにとって最高のシーズンとなります。資金難から解消された

ティレルチームはニューマシンを開発。ヤマハも前年のV10エンジン:OX10

の開発を進め、OX10Bとして投入します。シーズン中でもエンジン開発の

スピード緩めることなく何度もアップデートを行い、改良を重ねました。

僕個人の意見ですが、1994年のヤマハエンジンは、トップクラスのエンジン

だったと思っています。

ルノーV10エンジンやフォード・ゼッテクR・V8エンジンには敵わないかも

しれませんが、高速サーキットでも低速サーキットでもどんなコースでも速さを

発揮し、トップチームともまともに渡り合っていたのでポテンシャルが高い

エンジンであったでしょう。

そのエンジンとマシンのパフォーマンスにより、上位チームを何度も脅かす走り

を見せます。

スペイングランプリでは、片山右京のチームメートのマーク・ブランデルが

ヤマハエンジンとして初の3位表彰台を獲得します。

できることなら、これが片山右京であったらどれだけうれしかったでしょう。

日本人ドライバーの手によってこの偉業が達成されていたら・・・

勝負の世界で『たら・れば』はダメなので・・・

ですが、片山右京も負けてはいません。予選では度々トップ6入りを果たし、

ハンガリーグランプリでは、スタートのジャンプアップに成功し、2位を

走行するなど、速さを見せつけました。

翌1995年もティレル・ヤマハとして参戦します。しかし、1994年の

活躍もあり期待されましたが、1995年・1996年ともに低迷し、

1996年を最後にティレルとヤマハの契約が終了しました。

1997年はアロウズチームにエンジンを供給します。

なんと、アロウズチームのドライバーや前年のワールドチャンピオンの

デイモン・ヒルです。

このデイモン・ヒルというドライバーもアイルトン・セナに次ぐくらい大好きな

ドライバーです。

そんなチャンピオンドライバーが所属するチームと契約できたということは

ヤマハエンジンの評価が高いということでしょう。

このシーズンは日本のブリヂストンが初参戦したシーズンでした。

アロウズチームは、ブリヂストンタイヤの開発に協力し序盤は苦戦します。

やはり、このシーズンのクライマックスは、ハンガリーグランプリでしょう。

まずはデイモン・ヒルが予選で3位を獲得します。

決勝でもレース序盤でフェラーリのミハエル・シューマッハを抜き去り、

トップを独走します。

アロウズチームとヤマハエンジン、ブリヂストンタイヤの初優勝が見えた

ファイナルラップで悲劇が起きたのです。

マシントラブルにより失速。ウイリアムズ・ルノーのジャック・ヴィルヌーブ

に抜かれてしまい、2位フィニッシュとなりました。

あと一歩のところで抜かれてしまい、僕も声をあげてしまいました。

ホンダが撤退してから、日本メーカーのエンジンが優勝する場面を見ることが

無かったので、心臓をバクバクいわせながら、ドキドキしなが見ていました。

自分のことのように緊張していたのを覚えています。

ヤマハは1997年を最後に撤退してしまいます。

アロウズチームの代表からエンジンの供給形態の提案を受けていたのですが、

ヤマハ側としてはプライドもあり受け入れられなかったのでしょう。

表彰台に上がることはできたのですが、やはり表彰台の頂点に立つ瞬間が、

しかも日本人ドライバーと一緒に頂点に立つ姿が見たかったです。

ホンダ撤退後の日本メーカーを背負って立ち、日本の代表として戦ってきた

エンジンメーカー:ヤマハのF1撤退はやはり寂しいものがありました。

3.まとめ

僕自身、無限もホンダブランドとして考えているので、ホンダ以外で最も

優勝に近かったエンジンは、トヨタではなく実はヤマハだったのではと

思っています。

特に1997年ハンガリーグランプリでは、本当にあと一歩というところまで

来ました。

ホンダ撤退後のF1にちょっと興味が薄れがちだったのですが、やはりF1は

おもしろいと思わせてくれ一つでもあります。。

またF1の復帰しないのでょうかね・・・

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