日本人初!インディ500優勝の佐藤琢磨!F1でのその実力は?

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2018年の10月に開催される日本グランプリで、

デモンストレーションラン”Legend F1 30th Anniversary Lap”

というイベントが開催されることを前の記事でお伝えしました。

その参加ドライバーに、日本人初のインディ500を制した、

『佐藤琢磨』

も参加するのです。

2010年よりはインディーカーシリーズへ参戦していますが、

F1でも大活躍しています。

佐藤琢磨のレースで最も印象に残っているレースを紹介します。

目次

1.佐藤琢磨が優勝したインディ500とは?

2.佐藤琢磨のF1での最高のレース:2004年アメリカGP

3.まとめ

1.佐藤琢磨が優勝したインディ500とは?

インディ500は、アメリカ合衆国のインディアナ州のインディアナポリス市で

開催されるモータースポーツのイベントで、インディアナポリス500とも言われ

ています。

毎年5月24日から30日までの日曜日に開催され、1周2.5マイルのオーバル

コースを200周走行し、合計500マイルの距離で争います。

モータースポーツのサーキットといえば、スピード落とすためのコーナーであったり、

いろいろな形をしていますが、オーバルコースというのは、そのようなコーナーは

一切なく、2本のストレートを大きな半円のカーブでつないだ、楕円上のコースです。

なので、常に最高速で走行しているようなもんです。

平均速度は350km/hを超え、最高速度はなんと380km/h

達するのです。

ちなみに、F1での高速サーキットといえば、イタリアのモンツァサーキットですが、

そこでの平均速度は250km/hなので、異常なくらいの速さであることが

わかります。

200周もそのペースで走り続けるのです。

ドライバーの精神力の強さは尊敬に値します。

その速度領域で抜きつ抜かれつのバトルをやりあっているんですからね。

その時ふと思いました。

『そんなスピードで走ると、危険だよね』

200周も走るんですから、集中力は途切れるだろうし、常に350km/h

で走行しているのですから。

やはり、過去には多くの事故が起きていました。

それでも、ドライバーは名誉のために戦うのです。

F1モナコGP、ル・マン24時間耐久レースと並び、世界3大レースのひとつ

に数えられますが、その中でもインディ500は、100年という最も長い歴史

をもつレースであり、

『世界で最も偉大なレース』

とされています。

インディ500はアメリカのインディーカーシリーズの1戦なのですが、

この1戦だけは別格です。

賞金が桁違いなのもそうですが、観客の数が50万人を超えるので、その注目度の

高さから、インディーカーシリーズでのチャンピオンになるよりも、

『インディ500で優勝したほうが名誉』

とも言われています。

F1でチャンピオンに輝いている、フェルナンド・アロンソも挑戦し勝利を目指した

ンディ500。

このレースを制覇した佐藤琢磨がすごいことをやってのけたのかがわかって頂けた

でしょう。

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2.佐藤琢磨のF1での最高のレース:2004年アメリカGP

アメリカで偉業を成し遂げた佐藤琢磨ですが、F1の世界でも大活躍しています。

僕が印象に残っているのは、2004年と2007年です。

2007年は純国産チーム『スーパーアグリ・F1チーム』から参戦していた

シーズンです。2年目のチームでマシンの戦闘力も低いながら、本家チームより

速さを見せたり、チャンピオンドライバーを抜いたりといろいろかき回してくれた

面白いシーズンでした。このシーズンのことは、僕の別記事をご覧ください。

今回は2004年シーズンのアメリカグランプリを紹介したいと思います。

この年のF1はとにかくフェラーリチームのシューマッハが強いシーズンでした。

アメリカグランプリは第9戦目だったのですが、すでにシューマッハは7勝を

挙げていました。しかもフェラーリの1-2フィニッシュが5回もあり、

異次元の強さを誇っていたのです。

そんな中、佐藤琢磨ののるB・A・R・ホンダチームのマシンも好調で、

マクラーレンやウイリアムズといったトップチームと互角の戦いをしていました。

そして、運命のアメリカグランプリ。

絶好調のフェラーリの対抗馬として活躍が期待されていたのがB・A・R・ホンダ

だったのです。

チームメートのジェンソン・バトンとともにフェラーリに挑みます。

このシーズンの予選は1ラップ方式で、1台ずつコースに入り、1発勝負で

予選順位をきめるというシステムでした。

個人的にはこのシステムは嫌でしたね。

予選はどのタイミングでコースインするかという駆け引きが好きでした。

誰かがトップタイムを更新すれば、別のドライバーが挑む。

『そろそろ○○○がタイムアタックを出てくるかな』

『また○○○がタイムアタックに出てきた!』

とか、この駆け引きがF1予選だったんです。

確かにミスできない緊張感や、必ず見たいドライバーが見れるというメリット

もありますが・・・

アメリカグランプリの予選ではフェラーリの2台が強さを発揮し、1位、2位を

独占。琢磨も絶好調で予選3位を獲得し、決勝レースに臨みます。

このシーズンの琢磨は予選で好成績を残していました。

スペイングランプリで3位に入ったり、ヨーロッパグランプリではシューマッハと

ポールポジション争いをして2位になったりと、F1大好き日人であれば、ここまで

毎回のレースが楽しみでワクワクしたシーズンは無かったのではないでしょうか。

そして運命の決勝。

スタートで琢磨はシューマッハにブロックされ、アロンソに抜かれてしまいます。

3位から4位に落ちましたが、3位のアロンソから離れることなく追走していきます。

ここで、3位アロンソがクラッシュしてしまいます。すると最終コーナーでも

ウイリアムズのラルフ・シューマッハが大クラッシュでセーフティーカーが導入され

ます。

1位シューマッハ、2位琢磨のままレースが再開されますが、給油とタイヤ交換で

11位まで後退してしまいます。

ですが、この日の琢磨は自信に満ち溢れていました。

ここからオーバーテイクショーを開始したのです。

マクラーレン・メルセデスをホームストレートであっさり抜きます

ザウバー、トヨタと次々に抜いて4位に上がったのです。

F1はやはりオーバーテイクがないと見ていてもつまらないですよね。

しかも、日本人ドライバーが表彰台をかけて戦っているのですから興奮するのは

当然です!

最後のピットストップを終えて4位。前を走るのはルノーチームです。

ルノーのマシンとの差をどんどん縮めて行く琢磨。

この日の琢磨はものすごく速かったです。すべてが『はまった』という感じ

ですかね。

ホームストレートでルノーのマシンのインに入り、抜きにかかった瞬間、2台とも

コースアウト。運よく琢磨は先にコースに戻り3位に上がりました。

あとはゴールを目指して走り切るのみです。

シューマッハがトップでチェッカーを受けた、約20秒後に3位のチェッカー

受けたのです。

鈴木亜久里が1990年日本グランプリで3位表彰台に上がってから、14年ぶりの

表彰台でした。

予選では速さを見せてトップチームと互角の戦いを見せていたのですが、

接触やエンジントラブルなどでなかなか結果が残せなかった佐藤琢磨。

ホンダもトラブルが続いて琢磨に結果を残すことが出来なかったので、最高の週末に

なったことでしょう。

以降のグランプリでも日本グランプリでの4位入賞など、安定した成績を残して、

チームのコンストラクターズ部門2位獲得に大きく貢献しました。琢磨自身も

ドライバーズランキング8位で終えました。

3.まとめ

F1での初表彰台がアメリカグランプリでサーキットはインディアナ州の

インディアナポリス・モーター・スピードウェイ。

インディ500も同じコースで開催されているのです。

何か不思議な縁を感じますね。初の表彰台を獲得したサーキットで伝統あるレースに

優勝したのですから。

実は佐藤琢磨は、レーシングカートに乗ってからわずか5年F1デビューを果たした

奇跡の人間でした。

もともとF1とモータースポーツにはあこがれをもっていましたが、学生時代は自転車

競技をやっていて、インターハイで優勝するほどの実力の持ち主だったのです。

ですが、あこがれを夢を捨てきれず、レーシングスクールに飛び込みました。

やはり、夢はあきらめちゃいかんのです。

その夢に向かって行動をすることが、

実現に向けての第1歩であるということを、改めて感じたのでした。

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