F1日本の純国産チーム!スーパーアグリ・F1チームの戦い

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2018年のF1シーズンも中盤を迎えました。

日本のホンダエンジンを搭載するトロ・ロッソ・ホンダの成績はというと、

4位入賞をはじめ、複数回入賞はしているのもの、過去の『最強ホンダ』には

ほど遠い成績です。

1980年代の後半から1990年代前半のホンダエンジンの活躍を知る

僕にとっては、なぜこんなに遅いんだという残念な思いしかありません。

はやく強さを取り戻して、チャンピオン争いをする姿が見たいです。

そんなホンダですが、第3期にはあるF1チームの立ち上げに絡んでいます。

元日本人F1ドライバーの鈴木亜久里氏が代表を務める

『スーパーアグリ・F1チーム』です。

このチームは純国産純日本のF1チームとして発足されました。

今回は、『スーパーアグリ・F1チーム』の活躍についてご紹介します。

目次

1.スーパーアグリ・F1チームの設立まで

2.スーパーアグリ・F1チーム:初年度の戦い

3.スーパーアグリ・F1チーム:初入賞から撤退

4.まとめ

1.スーパーアグリ・F1の設立まで

第3期のホンダは、B・A・Rチームへエンジンの供給を2000年から

開始していました。

2004年には日本人ドライバー佐藤琢磨と共に好成績を残します。

アメリカグランプリでの3位表彰台をはじめ、ヨーロッパグランプリでの

予選2位獲得など、完全にトップチームとして強さを発揮しました。

翌2005年は状況が一転します。重量違反による失格や2戦出場停止など

散々たる結果でした。

そんな状況下で佐藤琢磨は1ポイントのみの獲得で大不振を極めていました。

となればチームとしては佐藤琢磨を解雇し、他のドライバーを新たに向かい

入れることを考えます。

ですがエンジンはホンダです。

ホンダとしては佐藤琢磨をドライバーとして起用するようチームと交渉しますが

難航します。

佐藤琢磨を解雇したらホンダへの批判はすごいことになります。

ですが、成績不振であったドライバーを守ることはできず、佐藤琢磨は解雇

されてしまいます。

ホンダはそうなる可能性を予測していたのでしょうか。

2005年の10月に来シーズンの新チームの立ち上げについて発表したのです。

そのチームが鈴木亜久里率いる『スーパーアグリ・F1チーム』でした。

このチーム発足に対して、大方の意見は

『佐藤琢磨放出に対する非難をさけるため』

でした。

そして、予想通り佐藤琢磨がドライバーとして参戦することになります。

スーパーアグリ・F1チームの代表を務める鈴木亜久里には、目標がありました。

35歳でF1ドライバーを引退し、45歳までに自分のF1チームを設立する

という目標を持っていたのです。

そのため、佐藤琢磨の解雇とは別に鈴木亜久里はホンダとすでに交渉をして

いたのです。チームのスタッフや工場についても交渉を重ねて、あとはマシン

のみというところまで進んでいました。

なのでホンダは佐藤琢磨のために新チームを作ったというよりは、タイミングが

あったということなのかもしれません。

ですが、周りの印象としては、佐藤琢磨のために新チームを作ってしまった

でしょう。

まあ、このおかげで佐藤琢磨をF1で見られるし、鈴木亜久里も夢を叶えた

のですからよかったのではないでしょうか。

これで僕の楽しみも増えました。

ホンダエンジンが参戦しているとはいえ、日本人ドライバーがいるといないとでは

全然違いますからね。ただ見ているだけでなく応援ができますから。

そしてついに2006年シーズンを迎えます。

2.スーパーアグリ・F1チーム:初年度の戦い

ドライバーは佐藤琢磨と井出有治の日本人コンビで、エンジンはホンダ、タイヤは

ブリヂストンでオールジャパンとしての参戦でした。

当初は、ホンダのマシンを使用する予定でしたが、F1の協定に違反するということで

使用できなくなり、2002年仕様の型落ちマシンを使用することになりました。

当然ながらそんな型落ちマシンでは結果を残すことはできません。

ライバルチーム(一番遅いチーム)からも1秒以上差をつけられる状態で、まともに戦える

状態ではありませんでした。

ですが、ニューマシンの開発も進めてうて、その投入が待ち望まれていたのです。

ドライバーはというと、佐藤琢磨はもともとF1でドライブしていたこともあり

問題なかったのですが、井出有治にとってはかなりきつい状況が待っていたのです。

新規参入チームで準備不足。つまりテスト走行をほとんどできず、どんなマシンかも

把握できないままシーズンを迎えたのです。

結果、第4戦目に他のマシンに接触し、F1マシンをドライブするための免許証である

『スーパーライセンス』剥奪されてしまったのです。

型落ちのマシンでまともに走行できない、佐藤琢磨のマシンにパーツの優先権が

与えられた状況です。しかもまだまだかわいそうな現実があります。

なんと井出有治が使用していたマシンは、空港に観賞用で飾られていたマシン

だったのです。パーツも壊れたまま、バックミラーも視界不良ときたら結果を

残すことが出来ないのは当たり前です。

準備期間が短く資金不足であったので、1台のマシンに全精力を注ぐのはわかり

ますが、まともなマシンに乗った井出有治のドライブも見てみたかったです。

結局2006年は来季に向けての準備と勉強の期間になりました。

3.スーパーアグリ・F1チーム:初入賞から撤退

2007年はホンダと共に開発したニューマシン『SA07』をシーズン開幕

から導入しました。

このシーズンは前シーズンとは違い、見ていてワクワクするような素晴らしい戦いを

何度も見せてくれました。

第4戦スペイングランプリ予選で佐藤琢磨は、本家ホンダF1チームより上のタイム

を叩き出し、予選13位を獲得します。(14位がホンダのジェンソン・バトン)

決勝でもホンダの2台を上回る走りを見せます。

そして昨年のチャンピオンチームのルノー・チームをピットストップの間に抜き

去ります。そのままルノー・チームを抑え見事8位入賞を果たします。

うれしいスーパーアグリ・F1チームの初入賞でした。

しかも本家ホンダF1チームよりも先にシーズンポイントを獲得するという

おまけつきでした。

レースを終えて佐藤琢磨がチームに走って戻ってきたとき、スタッフが駆け寄って

向かい入れました。そして鈴木亜久里の目にも涙があふれ、歓喜の渦に包まれて

いたのを思い出します。

昨年のつらいシーズンを乗り越えての初の入賞は格別だったことでしょう。

そして、このシーズンのハイライトは第6戦のカナダグランプリです。

このレースの予選でも佐藤琢磨は本家ホンダF1の2台より上の11位を獲得します。
(ホンダのバリチェロが13位、バトンは15位)

そして、決勝。

4回のセーフティーカーが入る大波乱のレースで、佐藤琢磨が光り輝きます。

スーパーアグリ・F1のマシンでオーバーテイクショーを開催したのです。

まずは66週目にトヨタ・チームのラルフ・シューマッハーを最終コーナーで

抜き去り7位浮上

目の前を走るのは、なんと前年チャンピオンのフェルナンド・アロンソです。

まさかアロンソを抜くことはできないだろう・・・

そう思っていた僕が間違っていました。

佐藤琢磨は抜く気まんまんだったのです。

攻めに攻めまくりアロンソとの差をどんどん縮めて行きます。

最終コーナー前のヘアピンコーナー出口でアロンソの後ろにピタッとつきます。

アロンソのドライブするマクラーレンは、メルセデスエンジンを搭載しています。

パワーもあり、一瞬ストレートで離されかかります。

ここからはブレーキング勝負です。ブレーキングを遅らせて抜き去るという

ドライビング・テクニックが必要になります。

そして最終コーナーで遂にアロンソを抜き去ります

6位浮上です。参戦2年目のチームが、前年チャンピオンドライバーを

抜き去ったのです。

これには、観客も含め大興奮でした。

当然僕も興奮してました。

この年のマクラーレンはチャンピオン争いをしているチームでした。

しかもアロンソは最終的にはチャンピオンからわずか1ポイント差の3位で

シーズンを終えています。

そんなドライバーとマシンを抜き去ったのですから、スーパーアグリの

ポテンシャルと佐藤琢磨のドライビングテクニックが優れているかがわかります。

ここまでの戦いで本家ホンダチームを上回る結果を残してしまいます。

結果としてチームの存続にかかわってくることになるのです。

最終的なシーズンの順位はスーパーアグリ・F1チーが9位、本家ホンダチームが8位

となり、なんとかホンダの面子は保たれましたが、ポイント差はわずか1でした。

翌2008年には、もともと深刻であった資金問題が大きくなります。

スポンサー企業のスポンサー料金の未払いにより、チームの存続が難しく

なりました。

ホンダとの技術提携交渉も難航し、ホンダの意向でマシンが使用不可となった

のです。

なんとか、チームを存続させよう動き、チーム株式の売却交渉をすすめます。

一時はチームスタッフ、ドライバー、鈴木亜久里代表はそのままで継続できる

ところの最終段階まで話が進んだのですが、異議を申し立てたチームがあるのです。

ホンダF1チームでした。

ホンダF1チームCEOのニック・フライが異議を申し立てたのです。

これにより、参戦継続の道は断たれ、2008年5月6日撤退を発表するのでした。

4.まとめ

急に作られたチームで、型落ちマシンからスタートしたスーパーアグリ・F1チーム。

鈴木亜久里をはじめ佐藤琢磨とチームスタッフを見ていて、ファミリーという印象を

受けました。みんながとても仲が良かったのです。

しかも、それなりの速さも兼ね備えていて、今後がとても楽しみでした。

この時のホンダF1チームの対応には疑問が残ります。

わずか3年で撤退となったのは、ホンダF1チームの異議だったからです。

2年目にチャンピオンドライバーを抜いたりと見せ場をたくさん作ってくれた

スーパーアグリ・F1と佐藤琢磨には感謝です。

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