F1ドライバーミカ・ハッキネン!皇帝シューマッハも認めたその実力とは?①

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2018年の10月にF1日本グランプリが再開されます。

今回は30回の記念大会ということで、いろいろなイベントが用意されています。

そのなかでも、

デモンストレーションラン”Legend F1 30th Anniversary Lap”

このイベントに注目しています。

過去29回のレースでインパクトを残したマシンとドライバーを招待し

デモランするというイベントなのですが、そこにF1チャンピオンの

『ミカ・ハッキネン』

『マクラーレンMP4-13』

の登場が決まったのです。

1998年にドライバーズチャンピオンに輝いたハッキネン。

あの皇帝シューマッハが恐れ、ライバルとして認めた男。

今回は、ミカ・ハッキネンがどんなドライバーだったのか、ご紹介します。

目次

1.カート時代からマカオGPでの大バトル

2.F1デビュー:ロータス時代

3.マクラーレンへの移籍とセナとの戦い

4・まとめ

1.カート時代からマカオGPでの大バトル

フィンランドで生まれたハッキネンは、フィンランド国内カート選手権で

4連覇するなど才能を発揮していました。国内で敵なしであったハッキネンは、

1984年にカート世界選手権に出場します。

そこで、F1でもライバルとなる、ミハエル・シューマッハと初めて対決

したのです。

結果は、シューマッハの優勝。ハッキネンは接触するなど散々な結果に終わり

ました。

その後は、北欧のフォーミュラー・フォード1600シリーズでチャンピオン

になり、拠点をイギリスに移し、1990年イギリスF3に参戦します。

そこで17戦中9勝あげ、見事チャンピオンに輝きました。

ここでのチャンピオン獲得が、F1への夢を確信に変えた瞬間でもあったそうです。

そして、その年のF3マカオGPに参戦します。

F3のマカオGPといえば、F3の世界王者決定戦ともいえるレースで、

多くのF1ドライバーが参戦していました。

予選で、あのアイルトン・セナが持っていた最速タイムを更新し、見事

ポールポジションを獲得したのでした。

予選2位に入ったのは、ミハエル・シューマッハです。

決勝は第1レグと第2レグに分かれており、2つの結果を総合して順位が

決まります。

第1レグはハッキネンが優勝。

第2レグではシューマッハが先行し、ハッキネンは2位を走行していました。

2位のままでも総合優勝はハッキネンでしたが、ファイナルラップでシューマッハ

を抜きにかかります。

結果、2人は接触しハッキネンはリタイヤ、シューマッハはそのまま走り切り、

総合優勝となったのです。

やはり勝負師なのでしょう。2位では納得が出来なかったのでしょう。

『やってしまった』

と言わんばかりに頭を抱え、マシンから降りた瞬間に、グローブを地面に

叩きつけていたのが印象的でした。この時ハッキネンは泣いていたそうです。

ハッキネンはシューマッハを抜いて完全勝利を目指したのです。

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2.F1デビュー:ロータス時代

ハッキネンは1991年にロータス・ジャッドからF1デビューします。

初入賞はデビューイヤーの第3戦サンマリノグランプリで予選25位から

5位入賞を果たしたのです。

チームメートは、ジョニー・ハーバートでとても仲が良かったのです。

あのF1実況者の古舘伊知郎さんはこの二人を例えてこう言いました。

『F1ライト兄弟』

とにかく仲がよく、いつも一緒にいて、いろいろなうわさが出ていたほどです。

僕もテレビとか見ていて

『仲のいい2人だな』

『見てるとずっと一緒にいるな』

と思っていたのです。

やはりうわさになっていたのですね(笑)

1992年もロータスから参戦し、エンジンがフォードHB・V8に変更

されました。

おかげでマシンの戦闘力が飛躍的に伸び、トップチームとも戦えるように

なりました。

この年のハイライトはベルギーグランプリでしょう。

ベルギーグランプリはエンジンパワーがものを言うサーキットです。

特にスタート直後のオールージュと呼ばれる登坂は、

世界中のサーキットで、『最も度胸が試されるコーナー』と言われています。

このコーナーで、フェラーリ、ベネトンなどのトップチームとまともに渡り合った

のです。

終盤にはマクラーレン・ホンダのアイルトン・セナとバトルを演じ、マシンから

火花を飛ばしながらの戦いでした。最後には抜かれてしまいますが、ドライバーとしての

評価をあげる戦いでした。

ここでハッキネンは現在のチームについて考えはじめます。

ロータスチームの資金状況が厳しく、テストも実施できない状況をに不安を抱き

ロータス脱出を考え始めたのでした。

実は、ウイリアムズチームのオーナーである、フランク・ウイリアムズがハッキネン

の才能に惚れ込み、1993年のアラン・プロストのチームメートとしてオファーを

出していたのです。

ですが、ウイリアムズのミスからこれは実現しませんでした。

この結果から、ハッキネンのロータス脱出計画は実現しないかに思えましたが、

マクラーレンからもオファーが届いていたのです。

このオファーを受け、翌1993年からはマクラーレンチームに移籍します。

この移籍は大成功だったでしょう。

僕個人の考えですがウイリアムズチームより、マクラーレンチームの方がドライバー

を大切にする感があります。

ナイジェル・マンセル

リカルド・パトレーゼ

デイモン・ヒル

チャンピオンも含めチームを離脱するドライバーも多いのです。

デイモン・ヒルは完全に解雇でしたし・・・

なので、ハッキネンのマクラーレン移籍は大正解なのです。

3.マクラーレンへの移籍とセナとの戦い

移籍当初はNo.3ドライバーであったため、レースに出ることは

できませんでした。

ですが、遂にF1に復帰するのです。

レギュラードライバーで不調続きの、マイケル・アンドレッティが

今シーズンの欠場を決め、ハッキネンがレギュラードライバーに

座ることになったのです。

第14戦ポルトガルグランプリのことでした。

チームメートはあのアイルトン・セナです。

やはり14戦までF1を走れなかったので、あまり期待はしていませんでした。

『久しぶりの実戦だから、予選で10位以内に入ればいいかな』

正直僕はそんな程度でした。

しかしそんな僕の予想の予想に反して、ハッキネンはとんでもないことをやって

のけました。

なんと、予選でセナを上回り3位を獲得したのです。

ハッキネンが速いのは知っていました。ですが、第14戦までF1に出走すら

出来なかったドライバーが、いきなりアイルトン・セナを上回ったのです。

『え?ここまで速いの?』

『開幕戦から出走していれば今頃どうなっていたんだろ』

とてつもなく、『もったいない』と感じてしまいました。

でもよく考えたらこのマシンのテストを担当していたのが、ハッキネンでした。

そりゃあ、速いですよ。

開発のためかなりの走行距離を走っていて、マシンのことはすべて知って

いるのですから。

決勝レースでも今まで走れなかった分を全てぶつけます。

フェラーリのジャン・アレジと大バトルを繰り広げたのです。

あの優しい顔とは全然違う、鬼気迫るといったような走りでした。

『久しぶりに走るF1で大丈夫?』

と言っているのが聞こえてくるように、ずっと心配そうに見つめる人物がいました。

マクラーレンチームのBOSSロン・デニスです。

その心配が的中してしまいます。

最終コーナー出口でクラッシュしてしまったのです。幸いケガもなく無事でしたが

攻めすぎましたね。久しぶりのF1で楽しかったのでしょうか。

なんとなくですが、他のドライバーとは違う走りに見えたのです。

イキイキとしているというか、何かが違ったのです。

次の日本グランプリでもハッキネンは大活躍します。

予選でセナに次ぐ3位に入ります。決勝でもスタートをうまく決め3位をキープ

します。

前戦ポルトガルGPの経験が彼を成長させていました。

落ち着いたレース運びを見せたのです。

途中雨も降りました。その雨に足を取られスピンするマシンがいるなか、

その混乱にうまく対応し、見事自身初の3位表彰台を獲得したのです。

表彰台でセナからシャンパンをかけられるハッキネンの笑顔が素敵でした。

4.まとめ

ミカ・ハッキネンとミハエル・シューマッハはすでにカート時代から争っていました。

マカオGPでもシューマッハを抜きにかかってリタイヤしたり、マシンから火花を

散らしながらバトルをしたりと、優しい顔に似合わず、熱い闘争心をもったドライバー

でした。

そんなハッキネンもついに優勝、そしてワールドチャンピオンを獲得します。

絶対にあきらめない、そして強靭な精神力をもったハッキネンの戦いを次回も

ご紹介します。

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