ル・マン24時間レースに優勝の中嶋一貴とは?その父親は?

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F1をはじめ、カーレースが大好きな僕にとってうれしいニュースがありました。

2018年ル・マン24時間耐久レースで中嶋一貴選手がドライブするトヨタが優勝したのです。

やはり、世界的に有名なレースで日本人が優勝するとすごくテンションがあがります。

そこで、

☆ル・マン24時間耐久レースがどんなスゴイレースなのか、

☆中嶋一貴選手がどんなドライバーなのか

ちょっとだけ調べてみました。

目次

1.ル・マン24時間耐久レースとは?

2.ル・マン24時間耐久レース優勝の中嶋一貴選手とは?

3.中嶋一貴選手の父親は?

4.まとめ

1.ル・マン24時間耐久レースとは?

フランスのルマン地方で行われる自動車耐久レースで、24時間でサーキットの周回数を

競います。

開催されるサーキットは、サルト・サーキットで全長が13㎞超えるサーキットで、

その一部は一般道を使用しており、レース中は通行止めになるそうです。

フランス西部自動車クラブ(ACO)が主催となって、世界耐久選手権(WEC)

の1戦でもあります。

初開催はというと、1923年でとても歴史あるレースなんです。

自動車レースといえば、F1・アメリカのインディーカーシリーズが有名ですが、

その中のF1・モナコGP、インディ500、ル・マン24時間耐久レース

世界三大レースと呼ばれているんです

ここで、過去の優勝チームを調べてみました。

1位:19回 ポルシェ
2位:13回 アウディ
3位: 9回 フェラーリ
4位: 7回 ジャガー
5位: 6回 ベントレー

ここでは5位までですが、その他にもアルファロメオ、プジョー、メルセデス・ベンツと

世界的に有名な自動車メーカーが名を連ねています。

どれだけすごい世界的なレースだということがわかります。

その『世界三大レース』一つである、『ル・マン24時間耐久レース』

で優勝した中嶋一貴選手がいかにすごいことをやってのけたのかがわかります。

2.ル・マン24時間耐久レース優勝の中嶋一貴選手とは?

中嶋一貴選手は、子供の頃からレースを見て育ってきました。

その理由はあとでわかります。

そんな環境からか、レースの世界に飛び込むのは当たり前のことだったのかも

しれません。

1997年にカートレースデビューをし、1999年にはチャンピオンになります。

その後、2002年にトヨタのレーシングスクールを受講し、翌年のフォーミュラー・

トヨタエントリーし、見事チャンピオンに輝いています

その後は順調にステップアップし、トヨタがウイリアムズチームとパートナーに

なることが決定した2007年シーズンにF1ウイリアムズ・トヨタチーム

テストドライバー契約を結びました。

そして2007年の最終戦ブラジルGPで念願のF1デビューを果たしたのです。

その翌年2008年には正式にレギュラードライバーとしてウイリアムズ・トヨタ

契約を交わしたのです。

しかし、その後はあまりいい成績を残すことが出来ず、2009年を最後に

契約更新されず放出されてしまいました。

その後、2011年にはフォーミュラー・ニッポンへの参戦、2012年から

世界耐久選手権に参戦しています。

実は、2016年にもル・マン24時間レースに優勝するチャンスがあったのです。

中嶋一貴とトヨタは、序盤からレースを支配する走りをみせていました。

しかし、レース終盤の残り6分を過ぎたところでパワーを失い最終ラップに入る

ホームストレートでストップするという、なんとも悲しいリタイヤとなってしまいました。

そして、2018年。

2016年の雪辱を果たし、見事ポール・トゥ・ウインでル・マンを制覇したのです。
(ポール・トゥ・ウインとは、予選1位であるポールポジションからスタートして
レースでも優勝することです)

それは、史上初の

『日本車で優勝した日本人ドライバー』

『日本車でポール・トゥ・ウインしたドライバー』

になった瞬間でもありました。

3.中嶋一貴選手の父親は?

そんな中嶋一貴選手ですが、父親もまたすごい人なのです。

父は、あの有名なF1ドライバー『中嶋悟』です。

中嶋悟といえば、チーム・ロータスであの伝説のF1ドライバー『アイルトン・セナ』

とコンビを組んでいた日本トップクラスのF1ドライバーです。

そんな父を見ていたので、子供の頃からレースを見て育ったのです。

中嶋悟は日本人初のフルタイムF1ドライバーです。

F1での優勝、表彰台はないものの、決勝最高位は4位、ファステストラップを1回

獲得しています。
(ファステストラップとは、決勝レースで全ドライバー中、コース1周の周回タイムが

最も早かった選手のこと)

このファステストラップを獲得したレースは、1989年の最終戦オーストラリアGP

でした。

このレースは豪雨に見舞われとても危険な環境でした。スタート時間を遅らせるなどの対応

をするほど環境はひどく、予選1位のアラン・プロストは1周走行して危険するほどでした。

レースはスタートするのですが、1周終えた時点で1/3のマシンがスピンしてリタイヤし、

完走したマシンは26台中わずか8台という荒れたレースでした。

そんな環境のなか、中嶋悟は後方23位スタートとなります。他のドライバーがスピンを

恐れてスピードを抑えて走行するところを、中嶋悟はとんでもない速さで走り抜けます。

次々と順位をあげ、なんと19台のマシンを抜き去るという驚異の走りをみせ4位

まで順位を上げてきました。

3位を走るのはマシンの性能がはるかに高いウイリアムズ・ルノーです。

しかし雨のレースになればマシンの性能差はほぼなくなり、ドライバーのテクニック勝負に

なります。

中嶋悟は初の表彰台をかけてさらにペースを上げ、真後ろに付けガンガン追い回したのです。

残念ながら抜くことはできずに4位におわってしまいましたが、ファステストラップを

記録し、『雨のナカジマ』と呼ばれるようになりました。

『雨のナカジマ』を簡単に言うと、

雨のレースになるとめちゃくちゃ速い!

ということです。

そんなすごい父親をバックアップしていたのは『ホンダ』です。

今回ル・マンで優勝したチームは、『トヨタ』です。

先にも書いてあるのですが、中嶋一貴はトヨタのレーシングスクールに通い、

卒業しています。

親の七光りを嫌って、ホンダ系ではなくトヨタが運営するレーシングスクールに

通ったのです。

偉大な父の力を借りれば、ホンダ系レーシングドライバーに簡単になれたかもしれない

ですし、確実にホンダのバックアップを得ることもできたでしょう。

でもあえて、いばらの道を歩む決断をしたことに僕は尊敬します。

僕は、仕事でもプライベートでもなかなか一人で行動に起こせないタイプで、いつも

仲間を探しています。

中嶋一貴選手のように、誰も知らない場所に一人で飛び込むということが出来ない

人間でした。

でも今は一人でいろいろなところに行っています!

少しずつですが、僕も変わろうとしています(笑)

4.まとめ

今回は、レーシングドライバー中嶋一貴選手について調べてみました。

今回の2018年ル・マン制覇には、つらい過去を乗り越えたからこそ

の結果でしょう。

つらい過去でも努力すれば必ず乗りこえることができる。

夢に向かって行動すれば、その先には明るい未来がまっている。

見事それを実践して見せてくれました。

今後も、中嶋一貴選手を応援したいと思うのでした。

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