F1ドライバージャン・アレジ!記録より記憶に残る男の最高のレースを紹介!

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2018年の10月に日本グランプリが開催されますが、そのイベントで

『デモンストレーションラン”Legend F1 30th Anniversary Lap”』

が開催されます。

その中で登場するドライバーになんと、

『ジャン・アレジ』

がいるんです!

ジャン・アレジといえば、速さと実力は折り紙付きながら、優勝がわずか1回と

あまりいい成績は残していません。

ですが、彼はF1ファンの記憶に残るレースを数々残し、絶大な人気を誇って

いるのです。

今回はそんなジャン・アレジのもっとも記憶に残っているレースをご紹介します。

目次

1.ジャン・アレジとは?

2.1989年アメリカグランプリ

3.1990年モナコグランプリ

1.ジャン・アレジとは?

簡単にですが、ジャン・アレジの生い立ちについて紹介します。

フランスのアヴィニョ生まれで、両親はイタリア出身のイタリア人でした。

実家は自動車修理工場を経営していて、子供の頃から工場の敷地内で自動車を

運転してその技術を身に付けていきました。

やはり、F1ドライバーになる方々というのは、子供の頃から自動車を運転する

ものなのでしょうか(笑)

あのアイルトン・セナの実家も自動車の整備工場で、自動車を運転して自分の

ドライビングテクニックを磨いていきました。

アレジのドライビングはあまりにも激しく、車が横転したこともあったとか・・・

F1でのアレジのドライビングといえば、情熱的でアグレッシブな走りでした。

子供の頃からその走りは健在だったのですね。

ですが、アレジはF1デビューするまでは苦労続きでした。

今では若いレーシングドライバーを育成するためのサポートシステムがありますが、

アレジの時代はそれがなく、すべて自分たちでやっていました。

また、所属チームの経営難、スポンサーの撤退など、とてもつらい時があったのです。

その時支えてくれたのが父親でした。熱心にアレジをサポートしてくれたそうです。

やはり、どんな時でも時分を信じ支えてくれる家族の存在は大きいです。

僕も、それなりにつらい経験をしています。

脱サラに失敗し、一緒に脱サラを目指した仲間に絶縁を叩きつけられました。

そんな時支えてくれたの家族です。優しく、時には厳しく僕を支え続けて

くれています。そんな支えがあったからこそ、僕もこうして記事を書けているのです。

家族には感謝の気持ちしかないですね。

そんなアレジも、家族のバックアップのおかげでレーシングドライバーとして

確実にステップアップし、遂にF1デビューすることになるのです。

2.記憶に残るレース:1990年アメリカグランプリ

ジャン・アレジのドライビングスタイルといえば、

・情熱的

・アグレッシブ

でしょう。

見ている人を引き寄せる走りで大人気でした。

特に市街地コースでは、ガードレールに後ろタイヤをわざとぶつけて

マシンの方向を強引に変えたりしていました。少しでも速いラップタイムを

出すためにマシンをぶつけるのです。

F1マシンはとても繊細で、少しでもマシンバランスが崩れるとスピードが

落ちます。ぶつけると当然バランスが崩れるのですが、アレジは崩れない

ギリギリでマシンをぶつけていたのです。

情熱的でアグレッシブに攻めまくるアレジですが、こういった繊細さも兼ねて

いるドライバーでもありました。

そんなジャン・アレジで最も印象に残っているレースは、

『1990年アメリカグランプリ』

です。

1989年にティレルチームからF1デビューを果たし、1990年から

フル参戦を果たしました。

その開幕戦でジャン・アレジはとんでもないパフォーマンスを見せたのです。

この年の予選は、2日間で争われていました。なので、2日目に予選の最終順位

を決める戦いになります。初日にある程度セッティングを決めて2日目に勝負を

かけるという戦いになるのです。

ですが、アメリカグランプリの予選2日目に雨が降ったので、予選1日目の順位が

そのまま決勝スタートの順位となったのです。予選1日目でセッティングが決まらず

あまりいいタイムが残せなかったトップドライバーもいました。

マクラーレン・ホンダのアイルトン・セナは予選5位、フェラーリにナイジェル・マンセルに

いたってはなんと予選17位に沈んでしまったのです。

アレジはこの予選で4位を獲得し決勝レースを迎えます。

決勝のスタートでアレジはロケットスタートを決めて、ポールポジションから

スタートしたマクラーレン・ホンダのゲルハルト・ベルガーを抜き去ると、

1位で第1コーナーに入ります。

アレジのマシンはパワーの無い非力なエンジンを搭載していました。

2位のベルガーはホンダV10エンジンで、当時圧倒的なパワーを誇って

いました。そんなベルガーをアレジは抑えつけ、1位をキープして中盤まで

進みます。その後、ベルガーはミスによ順位を下げて、遂にあの男がアレジの

背後に忍び寄ります。

『アイルトン・セナ』

予選では後れを取りましたが、やはり最強マシンに乗る最高のドライバーは、

速いです。予選の後れを挽回すべく、攻めまくっていたのです。

ここから、ジャン・アレジをしとめるべく、アイルトン・セナが攻めます。

後ろから来るセナのマシンはとてつもないパワーを誇るホンダV10

アレジのマシンは、非力なフォードV8エンジン

結果は、誰の目から見ても明らかでした。

この時点ですぐに抜かれるだろうと観戦に来ていたファンのみなさんは思ったはず。

レース中盤までは

『ジャン・アレジ初優勝!』

をちょっと意識したのですが・・・

そして、遂にセナがアレジの背後にくっつきます。

『終わった・・・』

『やっぱセナが優勝か』

と思いました。

セナはアレジのインをつきあっさり抜き去りました。

と思ったら、次のコーナーでアレジが抜き返したのです。

セナのインをつきアレジがまた1位を奪い返したのでした。

非力なマシンが、強大なパワーを誇るマシンを抜いたのです。

観客みんなが驚き、そして大歓声を上げたのです。

そこから、アレジとセナのテール・トウ・ノーズの戦いが始まります。

(テール・トウ・ノーズとは、前を走るマシンの後部:テールと

後ろを走るマシンの先端部:ノーズと呼ばれる部品が接触するぐらい

接近すること)

接触ギリギリの戦いを2周にわたり繰り広げます。

バトル2周目で周回遅れを含む3台が横一線に並びました。そこでセナは

再びアレジを抜き去ったのですが、そこからアレジもセナを攻めまくります。

アレジのマシンとセナのマシンが横一線に並びながら、コーナに飛び込んでいった

のです。

しかし、ここはセナでした。うまくアレジをブロックし、再び抜かれるということは

ありませんでした。

そのままセナは優勝。アレジもデビュー9戦目で2位で初の表彰台を獲得しました。

このレースでアレジの評価が上がったのは間違いありません。

しかも同年のモナコグランプリでマクラーレン・ホンダののベルガーを抑えて再び

2位を獲得しています。順調にトップドライバーへの道を歩み始めたのでした。

3.まとめ

マシンの性能差が大きくてもそれを感じさせず、あのアイルトン・セナと戦った

アレジ。将来のワールドチャンピオン候補に名を連ねたのは間違いありません。

僕自身もそう思いました。高速サーキットのイタリアグランプリはエンジンパワーで

レースが左右するレースです。非力なエンジンで強力なパワーを誇るV12エンジンを

搭載したフェラーリ2台を抜き去るなど、とんでもない才能を見せていたのです。

しかし、F1での最終成績は

『優勝回数:1回』

でした。

チャンピオンになるどころか、優勝も1回しかできず引退したのです。

しかし、ジャン・アレとジはF1ファンの記憶に残っている最高のドライバーです。

『デモンストレーションラン”Legend F1 30th Anniversary Lap”』

熱い走りを見せてくれるでしょう!

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