F1日本グランプリ開幕直前!日本人ドライバーが活躍した過去のレースをご紹介②

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前回は鈴木亜久里選手が3位表彰台を獲得した、1990年のレースを紹介しました。

やはり、日本開催で日本人が活躍するとうれしいものです。

今回は、またも3位表彰台を獲得した2012年の日本グランプリを紹介します。

目次

1.2012年日本グランプリ:予選

2.2012年日本グランプリ:決勝

3.まとめ

1.2012年日本グランプリ予選

2012年のF1は開幕から7戦の優勝者がすべて違うドライバーという

とてもめずらしいシーズンになりました。

チームの力の差が小さくなり、レースもバトルが多くおもしろいシーズンに

なりました。

ワールドチャンピオンが6人も参戦したシーズンで、あのミハエル・シューマッハ

『2回目』の引退を発表したシーズンでもあります。

予選の方式が1990年前半とは大きくかわり、Q1、Q2、Q3と3回に

わかれています。

Q1で7台が脱落し、24位から18位までが確定します。

Q2でさらに7台の脱落し、17位から11位まで確定します。

Q3で10位から1位までの順位を確定するという予選方式となっています。

つまり、上位のスターティンググリッドを決めるのはQ3に進出した

TOP10のドライバーということになり、いくらQ1、Q2で最速タイムを

出しても意味がありません。

日本グランプリ予選では、レッドブルの2台が強さを発揮しました。

予選1位と2位のフロントローを独占したのです。

小林可夢偉も地元日本の声援をうけ、見事Q3に進みます。

僕も予選を見ていました。

Q3に進んで、小林可夢偉が走り出したとき、心の中で

『ミスるなよ!』

『いけいけ!』

と叫びながら見入っていました。

Q1、Q2とトップチームにも負けない走りを見せていたので、もしかしたらと

思っていたのです。

その期待に見事応えてくれました。

ベストな走りを見せ、見事2列目の予選4位を獲得したのです。

表彰台も狙える予選4位を獲得したのですから、大興奮でした。

しかし、ドラマはまだ終わりません。

なんと、予選3位を獲得したジェンソン・バトンが、ギヤボックスという

部品交換でペナルティとなり、順位降格となったのです。

つまり、可夢偉は予選3位に繰り上げとなりました!

もう決勝は表彰台しかありません。小林可夢偉だったら絶対やってくれると

信じ、僕は決勝の朝を迎えたのでした。

2.2012年日本グランプリ:決勝

決勝も快晴で絶好のドライコンディションとなりました。

そして決勝レースがスタートします。

ポールポジションのレッドブルチームのベッテルが絶好のスタート決めましたが、

チームメートのウェバーが遅れてしまいます。

ここで登場するのが3位スタートの小林可夢偉です。スタートダッシュを決めて

2位に浮上します。

すると、第1コーナーで多重事故が発生してしまいます。

アロンソがライコネンと接触しタイヤがバーストしてリタイヤ。

そしてこのシーズン数多くのクラッシュの原因を作ったグロージャンがまた

やってしまいました。

2位スタートのウェバーに接触してしまい、ウェバーがスピン。

ウェバーは最後尾まで順位を落としてしまいます。

この多重クラッシュでセーフティーカーが導入されました。

こんな混乱を切り抜け、2位の小林可夢偉は3位ジェンソン・バトンとバトルを

繰り広げます。

僕は1位のベッテルを追いかけ、トップ争いをしてほしいのですが、

1位のベッテルを追いかけるよりも、3位のバトンを抑えるのに必死というような

走りでした。

バトンが先にタイヤ交換に入り、その次の周に小林可夢偉もタイヤ交換のため

ピットイン。見事バトンの前に戻ることが出来たのですが、場所が悪かった

のです。タイヤ交換をしていないマシンの後ろに戻ってしまい、ペースを

あげることが出来ません。

残念ながら、フェラーリのマッサに2位の座を奪われてしまったのです。

ですが小林可夢偉も負けてはいません。2位マッサと3秒差をキープしながら

チャンスをうかがっていました。

ですが、レース終盤になると4位のジェンソン・バトンがペースを上げ始めます。

3位の小林可夢偉を攻め始めました。タイヤの摩耗により小林可夢偉の

ペースが落ちてきたのが原因でした。

3位小林可夢偉と4位ジェンソン・バトンの差はわずか3秒。

ここから白熱のバトルが繰り広げられます。

もともと小林可夢偉より速かったジェンソン・バトンが少しずつその差を

縮めてきます。

2秒、1.5秒とその差が縮まります。

正直これは抜かれると思いました。

バトンは小林可夢偉より遅くタイヤ交換をしています。

つまり、タイヤがまだグリップしていたのです。

どうしてもタイヤのグリップ力が下がると、コーナースピードが低下します。

また、コーナーからの立ち上がりでタイヤが空回りして、前に進まないという

現象も考えられます。

しかも後ろから来るのはシーズンで2勝をあげているバトンです。

祈るように見ていたのを覚えています。

ですが、残り5周を切ったところで、小林可夢偉がバトンとの差を広げたのです。

わずか0.2秒でしたが、この状況で差を広げたのです。

『これはいけるぞ!』

『このまま差を広げれば・・・』

そう思った瞬間、シケインコーナーでタイヤをロックさせてしまいます。

やはり、タイヤが厳しいのです。

51周目のホームストレートを抜けた時点で1.7秒あった差が1.2秒に

まで縮められていました。

52周目はヘアピンコーナーでタイヤをロックさせてしまいます。

この周の終わりでは1.0秒になってしまいます。

そしてファイナルラップに突入です。

粘る可夢偉と攻めるバトン。3位表彰台を懸けた最後の戦いです。

最終コーナーで抜きにかかるため、シケインコーナーのブレーキを遅らせた

バトン。

ですが抜けませんでした!抜かれませんでした!

小林可夢偉は、3位の座を守り切ったのです。

自身初の表彰台を地元日本グランプリで達成したのです。

日本人ドライバーの表彰台は1990年の鈴木亜久里以来22年ぶりです。

22年間待ちに待ったこの結果に興奮しないわけがありません。

テレビ越しですが、レースを観戦していた観客の声援が聞こえてきました。

みんなが大興奮していたのです。

『可夢偉!可夢偉!』

表彰台に登場するまでの間、観客から可夢偉コールが起きました。

表彰台に登場した小林可夢偉はガッツポーズをみせ笑顔で登場しました。

ここでまた大歓声。

表彰台に掲げられる日の丸の国旗。

久しく見ていなかった国旗をまた見ることが出来てうれしかったです。

3位表彰台でチャンピオンのベッテルと仲良く談笑する、小林可夢偉を見て

なんだか誇らしくも思えました。

実は、小林可夢偉とベッテルは、ユーロF3というカテゴリーでチームメート

だったのです。

そのカテゴリーで一緒に表彰台に上がったこともあったので、そのことを思い出した

のでしょう。

3.まとめ

鈴鹿に乗り込んでくる前のレースでは9位・13位と絶不調だった小林可夢偉。

時おり速さを見せつけるのもの、安定感がなく日本GPでもあまり期待して

いませんでした。

それが予選3位からの決勝は2位も狙えた3位フィニッシュ。

地元の力を自分の力に変え、見事結果を残しました。

久しぶりの日本グランプリでの日本人ドライバーの表彰台。

このような最高のレースを2度も見れて、幸せだなあと感じる僕なのでした。

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