F1日本グランプリ開幕直前!日本人ドライバーが活躍した過去の日本GPを紹介①

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2018年のF1日本もあと数か月で開催されます。

今シーズンこそ日本人ドライバーが参戦していないのでとても残念ですが、

過去には日本人ドライバーが大活躍して、日本グランプリを大いに盛り上げて

くれました。

そんな日本人ドライバーが大活躍した過去のレースをご紹介します。

第1回目の今回は、1990年の日本グランプリです。

目次

1.1990年日本グランプリ:チャンピオン争い

2.1990年日本グランプリ:日本人初の表彰台

3.まとめ

1.1990年日本グランプリ:チャンピオン争い

1990年の日本グランプリは10月21日に鈴鹿サーキットで行われました。

この年は前年チャンピオンのアラン・プロストがフェラーリに移籍し、

マクラーレン・ホンダのアイルトン・セナとチャンピオンを争っていました。

チャンピオン争いは、セナが9ポイントリードし、プロストが逆転をかけて

この鈴鹿に乗り込んできました。プロストがチャンピオンをとるためには、

優勝が絶対条件です。

予選ではセナがポールポジションを獲得し、プロストは2位、この二人の

一騎打ちになる、ものすごいレースになると誰もが期待して、翌日の

決勝レースを迎えたのです。

その期待はスタート直後の一瞬で消え去りました

スタートに失敗したセナ、スタートに成功したプロスト。

プロストが前に出て第1コーナーに飛び込んだ瞬間、セナのマシンがプロストに

突っ込んだのです。

スタートからわずか8秒。セナの2回目のドライバーズチャンピオンの獲得が

決まった瞬間でした。

2年連続でセナに突っ込まれたプロストも、セナの行為を危険であるとして

審判団に訴えましたが、レース中のアクシデントして処理されました。

僕の別の記事でも書きましたが、とてつもなく後味が悪いです。

2年連続でチャンピオン争いをしている2台がぶつかりリタイヤするという

何とも言えない結末を迎えたのでした。

正々堂々とした戦いのチャンピオン争いで、F1に関わる全ての人達が納得できる

形での決着が見たかったというのが率直な感想でした。

セナ・プロの確執がまたしてもチャンピオン決定の場で、しかも突っ込んで

2台ともリタイヤという、観戦に訪れていたファンはがっかりしたことでしょう。

しかし、そんな暗い状況を吹き飛ばしてくれたドライバーがいたのです。

2人の日本人ドライバー、中嶋悟鈴木亜久里でした。

2.1990年日本グランプリ:日本人初の表彰台

鈴木亜久里は前年のザクスピードチームでシーズンすべてのレースで予備予選落ち

を経験しました。

決勝レースどころか、予選にも出走することが出来なかったのです。

子供の頃からの夢を果たし遂にF1ドライバーになれたのに、まともに走ることもできない。

どんなにつらく、屈辱的だったことでしょう。

1990年は自身のスポンサーがラルースチームのオーナーに就任したことで、

鈴木亜久里も同チームに移籍し、心機一転を図ります。

昨年までのマシンとは違いバランスがよく、エンジンパワーもあるランボルギーニV12

を搭載していたので、少しづつ結果を残し始めていました。

シーズンの中盤以降6位入賞2回とまずまずの成績を収め、日本に乗り込んできたのです。

もう一人の日本人ドライバーの中嶋悟も前年のロータスからティレルチームに移籍

しました。

ティレルが搭載するエンジンのフォード・コスワースエンジンは、ラルースの

ランボルギーニV12とは違いパワーの小さい非力なマシンでした。

そのため、前評判はあまり高くはなかったのですが、バランスのいいマシンを

作り上げ、チームメートのジャン・アレジが開幕戦でいきなりアイルトン・セナ

大バトルを繰り広げて2位表彰台を獲得、中嶋悟もそのレースで6位入賞を果たし

ました。

中嶋悟も日本グランプリまで入賞2回とまずまずの成績を残し、日本グランプリに

臨んだのです。

予選では、鈴木亜久里10位、中嶋悟14位と奮いませんでしたが、決勝のレースで

熱い戦いを、走りを見せてくれたのです。

まずは鈴木亜久里。ホームストレートで前を行くロータスのマシンに並びかけます。

片側のタイヤをコースから外し芝生の上を走りながら攻め立て、第2コーナーで

抜き去り、入賞圏内に入りました。

次は中嶋悟、同じくホームストレートでロータスの後ろにピタッとつきます。

メインスタンドの大歓声を背に中嶋悟もアクセルを踏み続けます。

そのまま第1コーナーでアウト側から見事抜き去るのです。中嶋悟も入賞圏内に入ります。

観客が最も多いメインスタンドと第1・第2コーナーでオーバーテイクすると、

テレビで聞こえるぐらい歓声がスゴイです。

そのことからもサーキットでの興奮はものすごいです。

しかも、抜いたに日本人が上位争いをしているとなれば、興奮しないわけが

ありません。

しかも鈴木亜久里は4位を走行しています。

タイヤ交換終了後、なんとファステストラップを連発させながら、3位のマシンを

ガンガン追い上げ始めたのです。

3位のリカルド・パトレーゼがタイヤ交換に入った隙に、遂に鈴木亜久里が3位

浮上しました。

ですが、このまま順調に行くほどあまくはありませんでした。

鈴木亜久里がガンガン飛ばしまくったことで燃料が足りないという情報が入ったのです。

燃料が足りないとなればガス欠になり止まってしまいますので、スピードを抑えなければ

なりません。

後ろからはリカルド・パトレーゼが追い上げてきています。

すぐさまチームが燃料の計算をします。

出た結果は、『問題なし』

燃料は足りるという結果になりました。

すると、パトレーゼのタイムが上がりません。パトレーゼも燃料に不安があったのです。

あとは、チェッカーまで走るだけです。

そしてついにチェッカー!

鈴木亜久里日本人初の3位表彰台を獲得したのです。鈴木亜久里はウイニングラン

のときずっと泣いていたそうです。

(ウイニングランとは、レース終了後ファンに感謝を伝えながら、ゆっくりと走る

パレードラップのことです。)

前年は1度もレースに出ることが出来ませんでした。結果を残せずつらい思いを

したのです。そのつらい思いが報われた瞬間でした。


そして中嶋悟も6位入賞を果たします。日本人ドライバーの2人が同時に入賞する

という最高の結果を残してくれたのです。

実は2位に入ったロベルト・モレノも苦労人でした。アクシデントから急遽ベネトン

に乗ることになったのですが、2表彰台を獲得したのです。

鈴木亜久里同様、予備予選もまともに通過できないシーズンをずっと過ごして

いました。実力はあるのにチームに恵まれない、そんな典型的なドライバーだった

のです。

レース終了後、この苦労人の目には涙があふれていました。優勝のネルソン・ピケと

同じブラジル出身で仲が良く、抱き合って喜んでいたシーンを見てはもらい泣き

してしまいました。

3.まとめ

チャンピオン争いは、スタート直後の8秒で終了してしまいましたが、日本人ドライバー

の活躍により、日本人には忘れられないレースになったことでしょう。

オーバーテイクを繰り返してレースを盛り上げ、最後には3位表彰台と6位入賞。

日本人に最高の日本グランプリをプレゼントしてくれた2人のドライバーには感謝です。

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