ホンダエンジン!F1最強伝説その③

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最強のF1エンジンを作り上げたF1第2期について紹介していますが、

ついに3回目最終回となります。

前回はターボエンジンが禁止され、自然吸気エンジンに変更になるまでの1989年

までを紹介しました。

今回は、活動を休止する1992年までを紹介します。

目次

1.ホンダエンジン!F1最強伝説:1990年プロスト離脱

2.ホンダエンジン!F1最強伝説:1991年最後のタイトル

3.ホンダエンジン!F1最強伝説:1992年F1撤退

4.まとめ

1.ホンダエンジン!F1最強伝説:1990年プロスト離脱

1984年よりマクラーレンのドライバーを務めていたアラン・プロスト

フェラーリへ移籍し、そのフェラーリからゲルハルト・ベルガーを向かい入れて

シーズンを戦うこととなりました。

フェラーリに移籍したライバルのプロストは、チームメートのナイジェルマンセル

と共にマクラーレ・ホンダに挑みます。

マクラーレン・ホンダが使用するマシンは、MP4-5Bという前年のマシン

改良版で、ライバルのフェラーリは新開発のF641というマシンを投入します。

この時点で『なぜ?』の疑問符がつきました。

通常であれば、新開発の技術や空力パッケージを搭載したマシンを開幕戦にあわせ

投入するはずです。

それが、前年の改良マシンなのです。

フェラーリチームは新開発のマシンに対し、マクラーレン・ホンダは昨年の改良版。

このシーズン、マクラーレン・ホンダは苦戦することになります。

F1の進歩は激しく、どんどん進化していきます。

圧倒的優位の1988年・1989年とは違い、他チームとの差は確実に縮まって

いたのです。

他のチームは、打倒マクラーレン・ホンダに向けて、エンジンパワーに頼らない、

空気抵抗が小さく、路面を確実にとらえることができるマシン開発を進めたのに対し、マ

クラーレンはホンダエンジンのパワー・性能に頼り切りのマシン開発を進めてきました。

結果、空力性能やマシンのトータルパッケージの開発を進めたチームが大躍進を

遂げます。

以前までは、エンジンのパワーで勝てる時代でした。

ですがもうその時代ではなくなり、マクラーレンチームと他チームの違いが出始める

シーズンになりました。

予想通り、フェラーリに苦戦します。

フェラーリは、空力性能とトータルパッケージに優れたマシンを開発していたのです。

しかし、マクラーレン・ホンダはフェラーリの信頼性の低さに助けれます。

フェラーリは、速さはあるのですが、新技術のトラブルが多発し、その力を全て

発揮できずにいました。

そして、チャンピオン争いはまたしても日本グランプリまでもつれます。

セナのリードで迎えた日本グランプリ。

ここでもアイルトン・セナとアラン・プロストの『セナ・プロ』はやってくれます。

日本グランプリの決勝スタートしてすぐの第1コーナーでセナがプロストに

突っ込んだのです。

すべてはここで決まりました。アイルトン・セナ2度目のドライバーズチャンピオン

獲得。そしアラン・プロストのチームメートナイジェル・マンセルのリタイヤに

より、コンストラクターズのダブルタイトルを獲得したのです。

ですが、後味が悪いですよね。

セナは知っていたのです。プロストがリタイヤすれば自分がチャンピオンになれる

ことを。

『わざと?』

とは思いたくありません。

ですが、正々堂々とした戦いを期待していただけに、残念でなりませんでした。

これで2人の溝はさらに深まったことでしょう。

2.ホンダエンジン!最強伝説:1991年最後のタイトル

前年の反省をもとに、マクラーレン・ホンダはマシンの空力開発の遅れを

取り戻すべく開発を進め、ニューマシンで新シーズンを戦います。

またホンダも前年から開発を進めていたV12エンジンを導入し、さらなる

進化を遂げたのです。

その結果、セナは当時の新記録となる開幕4連勝を達成しました。

その勢いのまま、マクラーレン・ホンダの圧勝と思われたのですが、

あのチームが強さを発揮します。

ホンダがマクラーレンとコンビを組む前に一緒に戦っていた、

『ウイリアムズ・ルノー』です。

フェラーリから移籍したナイジェル・マンセルと空力の鬼才と言われた

エイドリアン・ニューウエイのデザインしたマシンが徐々に力を発揮して

きたのです。

このマシンは、空力性能に優れ、ホンダエンジンよりもパワーが小さい

にもかかわらず、圧倒的な速さを発揮します。

ですが、マシントラブルや、チームのミスもあり、マクラーレン・ホンダを

追い抜くことが出来ません。

そして、また日本グランプリまでチャンピオン争いがもつれるのです。

この日本グランプリの詳細は、以前書いた記事をご覧ください。

1989年・1990年と接触でチャンピオンが決まっていた過去とは

違い、正々堂々とした戦いでチャンピオンが決定したのです。

そしてホンダはまたしても、ドライバーズチャンピオンとコンストラクターズ

チャンピオンのダブルタイトルを獲得するのでした。

3.ホンダエンジン!最強伝説:1992年F1撤退

ついに、マクラーレン・ホンダが敗れる時が来ました。

この年のマクラーレン・ホンダは、前年の改良版マシンで序盤を戦う決断を

しました。

それは、ウイリアムズ・ルノーも同じでしたが、決定的な違いがありました。

それは、アクシブサスペンションを筆頭にハイテク装備をウイリアムズ・ルノーは

搭載していたのです。

もともとマシンの空力パッケージとマシンバランスに優れており、このハイテク

装備を搭載したウイリアムズ・ルノーにマクラーレン・ホンダは全くといって

いいほど歯が立たず惨敗の連続でした。

マクラーレン・ホンダもハイテク装備の開発をしていなかったわけではありません。

F1初となるハイテク装備を搭載したマシンを第3戦ブラジルグランプリで

投入しましたが、それでもウイリアムズ・ルノーの差はうまりません。

エンジン性能だけで勝利するという時代は完全に終わりました。

この年のマンセルは、前年のセナの開幕4連勝を超える、開幕5連勝を達成します。

その勢いのままモナコグランプリに乗り込んできたのです。

その年のモナコグランプリはとんでもないドラマが待っていました。

1992年モナコグランプリの詳細は別の記事をご覧ください。

この年は最後までウイリアムズ・ルノーとの差をうめることが出来ませんでした。

そして、運命のドイツグランプリ。

ホンダがF1撤退を発表するのでした。

その知らせを聞いたセナは泣いていました。

ホンダと共に成長し、3度のドライバーズチャンピオンを獲得したセナにとって

ホンダはかけがえのない存在だったのでしょう。

セナは本田宗一郎さんのことを『日本の父』として慕っていました。

本田宗一郎から『最高のエンジンをつくる』と言われた時は感動して泣いていた

程です。

僕もホンダのF1撤退を知ったときは、寂しい気持ちになりました。

F1を見始めたときには、既にホンダが最強であり、ホンダ=F1

最強=マクラーレン・ホンダでしたから。

そして、F1に興味を持たせてくれたのも、F1を大好きになったのも

マクラーレン・ホンダとそのマシンをドライブするアイルトン・セナ

でした。

そのピースの一つが欠けるというのはつらいものです。

4.まとめ

3回にわたりホンダのF1第2期を紹介してきました。

F1復帰から初優勝までの道のりは厳しかったですが、わずか1年で達成

してしまうほどの技術力と情熱。

最強の名をほしいままにしたマクラーレンとのパートナーシップ。

アイルトン・セナに涙までさせたその魅力。

どれをとっても、最強そして最高の名にふさわしいエンジンでした。

僕自身、自分で乗っている車はホンダ車です。

過去にもずっとホンダ車です。

やはり、ホンダが好きなんですよね。

ここまで好きなものを発見させてくれたホンダ、自分の生活の中でも中心に

いてくれるホンダには、本当に感謝でいっぱいです。

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