ホンダエンジン!F1最強伝説その②

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最強のF1エンジンを作り上げたホンダのF1第2期について紹介しています。

その①では、1983年F1復帰から、初のドライバーチャンピオンと、

コンストラクターズチャンピオンを獲得した1987年までをお伝えしました。

今回は最強ホンダの名をほしいままにした、1988年と1989年を

ご紹介します。

目次

1.ホンダエンジン!F1最強伝説:1988年誕生最強チーム誕生
2.ホンダエンジン!F1最強伝説:1989年ターボ禁止
3.ホンダエンジン!F1最強伝説:セナ・プロ対決!確執へ
4.まとめ

1.ホンダエンジン!F1最強伝説:1988年最強チーム誕生

昨年までパートナーであったウイリアムズチームと別れ、もう一つのトップチーム

である、マクラーレンチームとパートナーを組みます。

おそらく、F1好きで僕と同じ世代の方だったら、一番なじみのある名前でしょう。

『マクラーレン・ホンダ』

ついに最強チームが誕生したのです。

その後、第4期では再びマクラーレンチームとパートナーを組むのですが、この世代

を知っている人達の興奮は計り知れないものだったでしょう。

それだけ、第2期のマクラーレン・ホンダというチームが世界に与えた

インパクトは絶大なっものだったのです。

1988年マクラーレン・ホンダのドライバーラインナップは

アラン・プロストとアイルトン・セナ

これも同世代には懐かしい『セナ・プロ時代』

これまた最強コンビです。

結果から先にお伝えします。

全16戦中15勝

優勝できなかったのは、フェラーリチームの地元イタリアグランプリのみで、

(そのイタリアグランプリを優勝したのは、のちにセナのチームメートになる

ゲルハルト・ベルガー:フェラーリです)

それ以外はすべて優勝というとんでもない記録を作ってしまったのです。

速さだけではなく、信頼性も兼ね備えており、プロストがエンジントラブルで

リタイヤしたのは、このイタリアグランプリの1回のみでした。

ですが、開幕当初の予想はここまでの結果を残すことになるとはだれも予想して

いませんでした。

1988年からターボエンジンの規制が厳しくなり、ブースト圧の低減による

パワーダウンや燃料使用量にも制限がかけられたことで、ターボエンジン搭載

チームの混戦や自然吸気エンジン搭載チームが健闘することなどが考えられました。

マクラーレン・ホンダはターボエンジン搭載チームです。このような状況から、

僕自身まさかこのような伝説を残すことになるとは夢にも思いませんでした。

チームの力が拮抗して、常にバトルが繰り返されている。そのようなシーズンを

予想していました。

またホンダは、ロータスチームにもエンジンを供給していました。

ドライバーは、前年チャンピオンのネルソン・ピケと中嶋悟です。

なので、マクラーレンとロータスの争いも期待していたのです。

ところが、圧倒的な力を発揮してとんでもない大記録を打ち立てたのです。

この年、セナは初のドライバーズチャンピオンに輝きます。

ホンダは1964年の初参戦から1992年の第2期の休止まで、71勝を

挙げているのですが、そのうちの32勝アイルトン・セナの手によって

挙げられた勝利です。

当然ながら、このような圧倒的なシーズンでしたので、ホンダとしては

2年連続となるドライバー・コンストラクターのダブルタイトルを獲得し、

最高のシーズンを終えたのでした。

もう1つのエンジン供給先のロータスはというと、散々な結果に終わっています。

マシンバランスの悪さ、オイルとホンダエンジンの愛称の悪さや、チーム自体の

初歩的なミスが目立ち、13回もリタイヤすることになってしまいます。

ドライバーズランキングも、ネルソン・ピケが6位、中嶋悟は16位に

終わっています。

2.ホンダエンジン!F1最強伝説:1989年ターボ禁止

翌1989年はターボエンジンが禁止になり、全チームが自然吸気エンジンを

使用することになりました。

この時代から様々なF1エンジンが出てきました。

ホンダとルノーはV10エンジン、フェラーリとランボルギーニはV12エンジン、

フォード、ヤマハ、ジャッドはV8エンジンをそれぞれ採用しました

エンジンの気筒数が変わるとエンジン音も変わります。V8からV12に変わるに

つれ甲高い音になります。

僕はエンジン音が大好きで、テレビで観戦しているとき

目を閉じてエンジン当てをしていました。エンジン音を聞いているだけでとても

楽しかったのです。

ここで気になる名前が出てきました。

『ヤマハ』

です。

あのバイクのヤマハも実はF1にエンジンを供給していたのです。

実は、ホンダ以外でも日本メーカーでエンジンを供給・製造していたメーカーが

あるのです。

この辺は、また別に記事で紹介したいと思います。

1989年もマクラーレンチームは圧倒的な強さを見せます。

全16戦10勝

前年よりは優勝回数は減りましたが、前年が異常すぎただけです。10勝でも

十分スゴイ記録です。

この年もマクラーレン・ホンダはドライバーズチャンピオンと、コンストラクターズ

チャンピオンの2冠に輝きます。

ですが、この年圧倒的な強さ以外であるもの見せてしまうことになります。

3.ホンダエンジン!F1最強伝説:セナ・プロ対決!確執へ

同じチームでチャンピオンを争っていると、予想通りのことが起きるものです。

アイルトン・セナとアラン・プロストの確執です。

同じチームのチームメート同士でチャンピオンを争っているので、自分を優先

させたいとかいろいろあったのでしょう。

その極めつけが、日本グランプリです。

チャンピオン争いをする2人が1位と2位を走行していました。

2位のセナは優勝しないとプロストがチャンピオンになってしまいます。

セナは攻めました。最終シケインコーナーでプロストを抜きにかかったのです。

無理でした。

プロストのマシンに突っ込んでしまい、コースアウトしてしまうのです。

すぐプロストはあきらめてマシンを降りましたが、セナはあきらめきれません

サーキットのスタッフに押してもらいコースに復帰。破損したフロントウイング

を交換し、レースを続けました。この交換作業で2位に落ちましたが、そこから

猛追を見せます。

残り2周の時点で1位を走行するアレッサンドロ・ナニー二に追いつきます。

すると先ほど接触事故を起こしたシケインコーナーで、抜き去り1位を奪還

見事トップでチェッカーを受けたのです。

ですが、このシケインでの接触事故に納得がいかないプロストが抗議

審議が始まりました。

結果は、『シケインコーナー不通過』によりアイルトン・セナの失格。

ですが、今度はセナが納得がいかないとF1の組織にある国際裁判所へ控訴。

結果は、『レース中のエンジン押し掛け』による失格が確定しました。

この結果により、アラン・プロストの3度目のドライバーズチャンピオン

決定しました。

セナが失格になったことにより、2位だったアレッサンドロ・ナニー二が

繰り上げで優勝となり、うれしい初優勝を飾りました。

もしこのセナとプロストの仲が良かったらと考えたことがあります。

おそらく他のチームはとても脅威になっていたでしょうし、

マクラーレンチームはもっともっと強くなっていたかもしれません。

ですが、セナのワールドチャンピオンの獲得や、優勝回数などは少なくなって

いたでしょう。前にご紹介した伝説のレースを見ることはできなかった

かもしれないと考えると、この2人の確執は仕方のないことだったのかも

しれません。

4.まとめ

ホンダの第2期はいろいろなドラマがありました。

1988年の全16戦15勝という、シーズンで1回しかまけないという

とんでもない記録を作ってしまいました。

『マクラーレン・ホンダ=最強』

これを強く印象印象付けるシーズンとなりました。

そして3年連続のダブルタイトルを獲得し、ホンダはずっとトップでを走り

づづけました。

まだまだホンダ最強伝説は続きます。

次もまたお楽しみに!

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