F1チャンピオンドライバー紹介!過小評価され続けた男デイモン・ヒルその②

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前回のその①では1994年までを紹介しました。

シーズン序盤戦はシューマッハに太刀打ちできなかったマシンを、チャンピオン争い

が出来るマシンにまで作り上げたデイモン・ヒル。

今回は、チャンピオン獲得から評価を覆したその実力を紹介します。

目次

1.デイモン・ヒル初チャンピオン獲得

2.見せつけたデイモン・ヒルの底力

3.まとめ

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1.デイモン・ヒル初チャンピオン獲得

1995年は、4勝と7回のポールポジションを獲得しますが、ミスや接触などが

重なりチャンピオンになることが出来ませんでした。

1996年は、ライバルのシューマッハが低迷期にあるフェラーリに移籍したことから、

デイモン・ヒルがチャンピオンの第一候補でした。

その期待に応えるべくヒルは前半戦の9戦で6勝を挙げ、チャンピオン獲得に向け

走り続けます。

しかし、イタリアグランプリでウイリアムズチームはとんでもないことをやってくれました。

デイモン・ヒルの解雇を発表したのです。

この発表には驚きましたし、僕自身残念でした。

ヒルはしっかり結果も残していたし、なんといっても開発能力が高いため、チームには

欠かすことのできないドライバーだったからです。

解雇の理由として考えられるのが、来季のエンジン(BMWエンジン)のためドイツ人

ドライバーが必要だったこと、チャンピオンを獲得すると年俸がアップするからなどが

挙げられます。

実際に、ナイジェル・マンセルも年俸アップが原因で交渉が難航し、離脱しています。

デイモン・ヒルは、チームのために尽くし、最強マシンの開発を進め、実際に

自分もタイトルを獲得したのです。年俸アップは当然じゃないかと思ったのですが、

このチームはお金に厳しいチームでした。

また、当時はウイリアムズのマシンに乗れば誰でも勝てる言われていたので、年俸が

安くても乗りたいというドライバーがたくさんいたという現実もこの解雇という動きに

つながったかもしれません。

そんな発表を受けて、ヒルもショックだったのでしょう。

後半戦は精彩を欠きます。チームメートのジャック・ヴィルヌーヴに追い上げられ

最終戦日本グランプリまでもつれ込みます。

予選ではヴィルヌーヴが1位でポールポジションを獲得し、ヒルは2位でした。

決勝レースではチャンピオン争いにプレッシャーからかヴィルヌーヴがスタートに

失敗しなんと6位まで後退してしまいます。ヒルはスタートダッシュに成功し1位で

第一コーナーに突っ込みます。ヒルはベルガーと接触があったものの、大きな影響も

なく周回を重ねます。

ヴィルヌーヴも必死に追い上げます。33週目にこのレースのファステストラップを

叩き出し、あきらめていません。ですが37周目にタイヤが外れるという信じられな

いトラブルでコースアウト。そのままリタイヤとなり、この瞬間デイモン・ヒルの

チャンピオンが決定したのです。

F1の関係者から低い評価を受けていた彼が見事チャンピオンになりましたが、その評価は

まだ低いままです。

デイモン・ヒルは1996年を最後にウイリアムズチームから解雇されてしまうのですが、

ある人物が激怒して、1996年シーズン途中でチームを離れてしまいました。

F1最強マシンの陰にはいつも名前がある、空力の奇才エイドリアン・ニューウェイ

です。

ウイリアムズ、マクラーレン、レッドブルの3チームでチャンピオンを獲得した

史上最も優れたマシンデザイナーと言ってもいいでしょう。

ヒルはテスト走行時に情報を的確にエンジニアやスタッフに伝える能力が高く、

開発能力に長けたドライバーだったので、ニューウェイのヒルに対する信頼は

絶大でした。

そんなニューウェイは、ヒルを解雇したウイリアムズチームを許せなかったのです。

以降、スタッフも何人か離脱したウイリアムズチームは1997年こそチャンピオンに

輝きますが次第に低迷することになります。

チーム代表のフランク・ウイリアムズも『デイモン・ヒルの解雇は間違っていた』

と発言しています。

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3.見せつけたデイモン・ヒルの底力

1997年はアロウズ・ヤマハに移籍します。

ここからデイモン・ヒルの本領を発揮します。

シーズン開幕当初は予選通過も難しいマシンで、完走もままならない状態が続き

モチベーションを失いかけます。

しかし、持ち前の開発能力の高さを見せつけます。テストを重ねマシンの開発を

進め、遂にはハンガリーグランプリで予選3位を獲得します。

決勝もスタートダッシュに成功し2位に順位を上げます。

1位のシューマッハはタイヤが合わずペースが上がりません。ヒルがシューマッハー

を脅かします。

久しぶりに見る光景です。やはり上位を走るデイモン・ヒルを見るのはうれしいです。

そして11周目。短いストレートで遂にシューマッハーを抜き去ります

見事なオーバーテークを見せられました。

思い出して動画を見てまたトリハダがたってしまいました!

フェラーリをまさか開幕戦で予選落ちギリギリのチームのアロウズが抜いたのです。

興奮しないわけがありません。しかもデイモン・ヒルなんです。

ここからどんどんペースを上げリードを広げていきます。アロウズとヤマハの

初優勝に向けて走り続けます。

ここで悪夢が襲います。スロットルトラブルとギヤボックスのトラブルでスピードが

一気に落ちます。ファイナルラップでヴィルヌーヴに抜かれてしまい残念ながら2位

でフィニッシュしたのです。

しかし、この日のレースはデイモン・ヒルのレースでした。

優勝したヴィルヌーヴとがっちり抱き合います。昨年まで同じチームで戦い、

このシーズンは天国と地獄に分かれてしまっていたんです。ヒルがものすごいことを

やってのけて、ヴィルヌーヴもうれしかったでしょう。笑顔で抱き合っていました。

表彰台でも久しぶりにヒルを見れて、とても感動した自分を思い出します。

昨シーズンまでは当たり前の光景でしたが、今シーズンは完走さえもままならない

シーズンを送っていたので、僕もとてもうれしかったです。

観客もヒルに完成を送っていて、それに応えるヒルがとてもうれしそうに笑っている

姿が今でも思い出されます。

そしてついに彼の能力が認められ始めました。速いマシンだったから、ウイリアムズのマシン

だったからヒルは勝てたという評価を見事に覆し始めたのです。

デイモン・ヒルは速いマシンを作り上げることが出来るのです。

最終戦でも決勝はリタイヤに終わってしまいますが予選では4位に入り、シーズン

開幕当初は予選通過も危ぶまれていたマシンをトップチームとまともに渡り合える

マシンを作り上げたのです。

翌1998年は、ジョーダンチームに移籍します。

この年も開幕当初はマシンが遅く苦戦します。ですが、チームにはデイモン・ヒルがいます。

またしても開発能力の高さをいかんなく発揮し、マシンを作り上げていくのです。

前半戦はリタイヤが多く、全くと言っていいほど結果が残せませんでした。

後半戦はヒル共に進めた開発が実を結び始めます。少しずつ結果を残し始めたのです。

そし第13戦の運命のベルギーグランプリ。大雨になり最悪のコンディションでの

スタートとなります。

予選3位を獲得したヒルは、オープニングラップの大クラッシュによる再スタートでも

動揺することなく、スタートをうまく決め1位に上がります。しかし、シューマッハを

抑えることが出来ず抜かれ2位に落ちてしまいます。

しかし、シューマッハに事件が起こります。周回遅れのマシンと接触してしまったのです。

周回遅れのマシンがゆずろうとスピードを下げたのですが、大雨で見えずぶつかって

しまったのです。

これで1位に立ったのはデイモン・ヒル、2位にも同じジョーダンチームの

ラルフ・シューマッハとなりました。

このままゴールとなり、ジョーダンチームに悲願の初優勝をもたらしたのです。

しかも、1-2フィニッシュというおまけつきです。

ここでも遅いマシンを速いマシンに作り上げるという、最高の仕事をやってのけた

のです。

翌1999年シーズンもこの勢いに乗りジョーダンチームは絶好調をキープします。

チャンピオン争いを繰り広げるチームにまで成長したのです。

ですが、デイモン・ヒルは新しいタイヤになれることが出来ず低迷し、この年を

最後に引退するのでした。

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3.まとめ

デイモン・ヒルはF1チャンピオンの中で、過小評価されたドライバーの一人でした。

ウイリアムズのマシンだから、速いマシンだからチャンピオンになれたというのが

彼に対する評価でした。

ですが、アロウズチーム、ジョーダンチームでの活躍により自らの手で、自らの実力で

その低評価を覆したのです。

確かにドライビングには華がなく、地味かもしれませんが、確実にマシンを強くでき、

マシンを仕上げることが出来る数少ないドライバーでした。

ヒルは、もっと評価されるべき素晴らしいドライバーであることに間違いありません。

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