アイルトン・セナ(F1ドライバー)の伝説のレース1992年モナコグランプリとは?

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アイルトン・セナ(F1ドライバー)伝説のレース1992年モナコグランプリとは?

今回ご紹介したいのは、前回に引き続き、

アイルトン・セナの伝説のレースです。

前回は1991年日本GP(グランプリ)を紹介しました。

アイルトン・セナが3度目のチャンピオンを獲得したレースで、

セナとマンセルの戦いや、ファイナルラップでの素敵な演出に

ついてご紹介させていただきました。

今回は1992年モナコGPを紹介します。

(目次)

1.モナコグランプリ(GP)について

2.1992年モナコグランプリ:予選

3.1992年モナコグランプリ:決勝

4.1992年モナコグランプリ:最後の戦い

5.まとめ

1.モナコグランプリ(GP)について

F1のモナコGPとえば、世界中のセレブやハリウッドスターたちが集まる

とても華やかで豪華なレースで、

・インディ500

・ル・マン24時間耐久レース

と並び世界3大レースの1つに数えられています。

モナコGPが開催されるモナコ公国は、高級リゾート地という土地柄からか、

港に停泊する豪華なクルーザーに寝そべり観戦している人もいます。

このレースは1950年のF1発足時より毎年必ず開催されてきた数少ない

レースの1つです。

モータースポーツといえば、専用のサーキットを走行するとイメージしている

と思いますが、このモナコGPは違います。

モンテカルロ区の一般道市街地コースを走行するのです。

専用のサーキットでないことから、コース幅が非常に狭く、抜くポイントが

限られてくることから、予選の結果がとても重要になります。

F1発足時からの伝統・華やかさ・コースの難しさから、

モナコでの1勝は他のレースの3勝分の価値がある』

と言われるほどです。

このモナコGPでアイルトン・セナは生涯6勝を挙げており、

『モナコマイスター』

と呼ばれていました。

しかも、1989年から1991年まで3連勝しており、

まさに『モナコマイスター』にふさわしい強さを見せていました。

2.1992年モナコグランプリ:予選

この年のマクラーレンチームは、ウイリアムズ・ルノーの

ナイジェル・マンセルに全くといっていいほど歯が立ちませんでした。

1991年にアイルトン・セナは開幕4連勝という新記録を打ち立てた

のですが、この年のナイジェル・マンセルは開幕5連勝とセナの記録を

打ち破ったのです。

異次元の速さを誇るハイテクマシンを擁する絶好調のマンセルは、

その勢いそのままにモナコGPに乗り込んできました。

マンセルは、通算31勝を挙げているのですが、このモナコGPではというと、

『未勝利』

なのです。

なので、なんとしてでも優勝したいという気持を前面に出して、予選に臨みました。

結果は、2位に1秒近くをつけての1位、ポールポジションの獲得です。

2位にチームメートのリカルド・パトレーゼが入り、ウイリアムズ・ルノーが

予選1位・2位を独占したのです。

対するセナはというと、

『予選3位』

マンセルの予選のタイムから、1秒以上遅い3位でした。

この結果を見て、僕はセナの優勝をあきらめてしまいました。

なぜなら、

  • このモナコGPはコース幅が狭く、抜きにくい
  • 最強ウイリアムズ・ルノーの2台がセナの前にいる

もう絶望的です。

僕は、セナがこのモナコGPで優勝するには、予選で1位になるしかないと

思っていました。

僕の思い描いいていたイメージはこうです。

セナが予選で1位になって、決勝レースでは抜きにくいコースで、マンセルを

おさえながら、走り切り優勝する。

これしか優勝することはできない、それほどウイリアムズ・ルノーと

ナイジェル・マンセルは強かったのです。

見るのをやめようかと思いました。

ですが、なんか気になったのです・・・セナが奇跡を起こすのでは・・・

3.1992年モナコグランプリ:決勝

見てよかったです!

セナはスタートでいきなりやってくれました。

スタートダッシを決めて、2位のリカルド・パトレーゼを抜いたのです。

燃えました。

その勢いそのまま、前方のマンセルを追い立てます。

セナならやってくれる。そう思いながらテレビにかじりつきました。

無理でした。

どんどんセナは離されます。F1でいうマンセルの『ひとり旅』状態です。

そしてついには、スタートで抜いたはずのパトレーゼに抜かれそうになります。

必死におさえるセナとガンガン攻めるパトレーゼ。

セナは、優勝どころではなくなりました。

なんとかしてパトレーゼをおさえなければなりません。

ですが、セナとパトレーゼの差が広がってきました。

なぜだろう?

なんと、あのミハエル・シューマッハがセナを援護射撃していたのです。

(意識はしていないとはおもいますが)

当時のシューマッハは、前年のベルギーGPでデビューしたばかりの

バリバリの若手でした。

そのシューマッハが、最強ウイリアムズ・ルノーをガンガン攻めていたのです。

実はシューマッハもモナコGPを5回優勝し、『モナコマイスター』と呼ばれる

ことになるのです。

今度は、パトレーゼがセナを追いかけるどころではなくなり、シューマッハを

おさえることに集中せざるを得なくなりました。

この隙にセナは3位パトレーゼとの差を広げにかかります。

ですが、マンセルには追い付けません。

誰もが、マンセル優勝と思っていたときに、モナコGPの神様は最高の演出を

用意していました。

当時のピットレポーター川井一仁さんから実況の三宅正治アナウンサーに

情報が入ります。

『ウイリアムズのピットが騒がしいですね・・・』

なんと、マンセルがピットインしてきたのです。

自動車に乗っている方ならわかると思いますが、走行しているとタイヤは摩耗します。

それはF1も同じで、1レースで300㎞走行し、最高時速300㎞に達する

F1ではその消耗もはやいのです。

タイヤが消耗するとグリップ力が減り、コーナーでのスピードが出せなくなったり、

タイヤが空回りなどして加速性能も下がり、結果的に遅くなります。

そのグリップ力の低下によるスピードの低下を防ぐため、レースの中盤くらいで

タイヤを交換してレースを続けます。

そのとき、タイヤを交換するところ『ピット』と呼んでいます。

日本語で言うと、『車両整備所』といったところでしょうか。

モナコGPですが、レースの距離が他のレースより少なく、約260㎞です。

レースの最高速度が低く、タイヤの減り・摩耗も少ないことから、タイヤ交換は

無しの作戦をとるチームが多かったです。

タイヤ交換するとマシンは止まります。つまり、タイヤ交換すると不利になるのです。

残り8周の時点でマンセルが左のリヤタイヤに異常を感じ、タイヤ交換のため

ピットインしたのです。

この時のセナとマンセルの差は約28秒

正直、マンセルが1位のままでタイヤ交換を終えて、レースに復帰すると

思っていました。

ですが、セナが1位になっていたのです。

4.1992年モナコGP:最後の戦い

新品のタイヤに交換して、全力で走行することが出来るマンセルと、

タイヤが摩耗してグリップ力を失い、全力で走ることが出来ないセナ。

抜きにくいコースで、このような状況になれば、どうなるかは想像が

つくと思います。

あっさりと、5秒の差を縮めるマンセル。

ピタッとセナのマシンの後ろにくっつくマンセル。

ここから始まります、最高の戦いが!

セナとマンセルが接触ギリギリで、狭いモナコのコースを全力で走って

いるのです。

マンセルが左・右にマシンを動かし、セナにプレッシャーかけて抜こうと

するマンセル。

コースの走る位置を変えて必死にマンセルをブロックするセナ。

セナのタイヤは限界でした。

トンネルを抜けた先にあるシケインコーナーで、セナはマシンをスライド

させながらドライブしています。

ほぼグリップ力がなタイヤで、マンセルを封じ込みます。

レース終盤でのバトルはほんとに見ごたえ抜群でした。

優勝をかけた男と男の戦いは、手に汗握るすごい戦いでした。

ここで実況の三宅正治フジテレビアナウンサーの名言がうまれます。

ファイナルラップの最終コーナーで絶叫していました。

『ここはモナコ・モンテカルロ!絶対に抜けない!』

そのままマンセルをブロックし、1992年シーズン初優勝を飾ったセナ。

マンセルとの差は、0.2秒でした。

チームスタッフも泣いて喜んでいました。開幕から6戦して未勝利だったので、

やっとつかんだ勝利でうれしかったのでしょう。

表彰式でのマンセルは係員に支えられなければ立てないほどぐったりしていました。

このレースを全力で戦って、どれだけ勝ちたかったかが伝わってくるシーンで、

今でも記憶に残っています。

5.まとめ

ここでも、あきらめないセナが奇跡を起こしました。

誰も勝てないと思っていた。

勝利を信じていたので、それを引き寄せたのでしょう。

2018年になってもF1の歴史で最高のレースと言われる1992年モナコグランプリ。

そんなレースをリアルタイムに見れことに感謝です。

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