アイルトン・セナ(F1ドライバー)の伝説のレース1991年日本グランプリとは?

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僕が、一番最初にF1を見たとき、真っ先に目に飛び込んできたのが、

赤と白のF1マシンでカー№1のアイルトン・セナでした。

そのアイルトン・セナもこの世を去ってから、もう24年がたちます。

そこで、僕が大好きなF1ドライバー、アイルトン・セナと、

伝説ともいわれるレースについて紹介したいので、ちょっとお付き合いください。

目次

  1. アイルトン・セナについて
  2. 1991年日本グランプリ(GP):予選
  3. 1991年日本グランプリ(GP):決勝
  4. まとめ

1.アイルトン・セナについて

アイルトン・セナについて簡単にお話します。

ブラジルのサンパウロ市に生まれ、4歳の誕生日に父からレーシングカートを

プレゼントされます。

プレゼントされるとすぐレーシングカートに夢中になって遊んでいたそうです。

プレゼントできる親もですが、レーシングカートをプレゼントされ

夢中になる4歳児もスゴイですし、逸話ですが8歳で父親の工場に

あるスクラップ寸前のジープを動かしたという話もあります。

この時から、車に興味をもって、自然とドライビングテクニックを磨いて

いたのかもしれません。

その頃の僕は、三輪車か足でこぐ車のおもちゃで必死になって遊んでいた

記憶があります。車には特に興味もなく、そこら辺にいる普通の子どもでした。

このちがいですね。

この時点でセナは、レースの道へ進む運命だったのでしょう。

そしてセナは13歳からカートレースを始め、さまざまな選手権で好成績を収めます。

カートレースのキャリアは1982年まで続き、1980年に幼馴染と結婚して

自ら資金調達を始めるようになります。

そしてブラジルを離れレースの本場、ヨーロッパに戦いの場を移すことを

決意します。

ヨーロッパのフォーミュラーシリーズに参戦したセナは、そこでも才能を発揮し、

好成績を収めたのですが、資金不足におちいってしまうのです。

泣く泣くブラジルへ帰国するのですが、そこはセナです。

レースへの情熱は冷めません、彼はあきらめていませんでした。

再び資金をかき集め、ヨーロッパ復帰を止める奥様と離婚して、

再びヨーロッパへ渡り、フォーミュラー・フォード2000に参戦。

見事チャンピオンになりました。

この時、奥様の言うとおりに、ブラジルにとどまっていたら、

僕はアイルトン・セナという選手に巡り合うどころか、F1という

モータースポーツにも巡り合っていなかったかもしれません。

僕にアイルトン・セナという選手と巡り合わせてくれたこの決断に

感謝の気持ちでいっぱいです。

その後は順調にステップアップし、1984年にトールマンからF1デビューを

果たします。

そして、ロータスチームを経て、1988年にチャンピオンを獲得した

マクラーレンへと移籍します。

マクラーレンでは3回ワールドチャンピオンに輝くのですが、すべてに

ドラマがありました。

その中でも、1991年の3回目のチャンピオンを獲得した時が一番印象に

残っています。

2.1991年日本グランプリ(GP):予選

1991年のアイルトン・セナ率いるマクラーレン・ホンダチームは、

最高のマシン、最強ホンダエンジンを武器に、開幕4連勝という

最高のスタートを切りました。

しかし、シーズンが進むにつれて、ナイジェル・マンセル率いる

ウイリアムズ・ルノーチームが巻き返しを図り、マクラーレンチームは

苦しいレースを強いられました。

そして運命の第15戦日本GPです。

このレースは、アイルトン・セナとナイジェル・マンセルのタイトル争いの

かかる一戦。

マクラーレンチームにエンジンを提供するホンダは、母国日本のレースに向けて

『鈴鹿スペシャルエンジン』

と呼ばれる最高の作り上げてきました。

ホンダの母国レースに対する意気込み、そしてチャンピオンになるんだ!

という強い意気込みが強く伝わってきました!

最高のエンジンと共にマシンも改良されたことで、マクラーレン・ホンダチームは

再び速さを取り戻します。

予選では、チームメートのゲルハルト・ベルガーがポールポジション(予選1位)

を獲得し、セナは2位で、マクラーレンチームがトップ2のフロントロー

を独占しました。

F1では、1チームからレースに出場できるのは2人のドライバーとなります。

レースも予選と決勝に分けられています。(実際にはフリー走行などもあります。)

予選とは、決勝レースをスタートする順番を決めるものです。

予選で1周あたりのラップタイムが速い順番で、スタート位置が決められます。

なので、予選で1位をとると、決勝レースでは一番前からスタートできるため

圧倒的優位になるのです。

このレースの前までは、ウイリアムズ・ルノーチームに3連敗を喫して

いました。

この日本GPでも、マクラーレン・ホンダは負けるかもと思っていたのですが、

予選で1位と2位を取ってしまいました。

速さが逆転してしまったのです。

マクラーレンとホンダはものすごい努力をしたのでしょう。

この日本GPでチャンピオンを決める並々ならぬ決意のあらわれでしょう。

チャンピオン争いをするマンセルといえば、セナの次予選3位で、

決勝に望みをつないでいます。

3.1991年日本グランプリ(GP):決勝

そして、運命のレース。

フォーメーションラップを終えて、再びグリッドにつきスタートを待ちます。

シグナルが赤から青に変わり、スタート!

優勝しかないマンセルは、スタートダッシュを狙いますが、フロントローの

マクラーレンの2台に行く手を阻まれ、抜くことが出来ません。

予選順位のまま、第1コーナーへ突っ込みます。

マクラーレンチームは、セナにマンセルを抑えきることに集中させ、その間に

ベルガーがどんどん先行するという作戦をとりました。

どんどん逃げるベルガー。

マンセルは焦っていたのでしょう。なぜならマンセルには優勝しかないのです。

そして10周目。

マンセルはついに勝負をかけます。

ホームストレートで、セナの背後にピタッとくっついて第1コーナーで抜きに

かかります。

その瞬間、マンセルはマシンのコントロールを失い、そのままコースアウト。

コースに戻ることなくそのままリタイヤとなってしまいました。

この瞬間、セナのチャンピオンが決定しました。

セナはこの前の年、1990年にもチャンピオンを獲得しています。

この時も、日本GPでチャンピオンが決まっているのですが、スタート直後の

第1コーナーで、チャンピオン争いをしていたプロストにセナが突っ込んで、

お互いがコーアウト、そのままお互いリタイヤとなり、後味の悪いかたちで

チャンピオンが決まったのです。

確かに、マンセルのコースアウトという形でチャンピオンが決まりましたが、

正々堂々とした戦いの中でのコースアウトだったので、前年とは違う

すっきりとしたチャンピオン決定でした。

ナイジェル・マンセルも手を振りながら帰っていましたし、

レース終了後、セナに会いに行き、『君がチャンピオンだ』といわんばかりに、

セナの右手を掲げていました。

このことからも、正々堂々と戦っていたのでしょう。

その後のレースに話を戻します。

その後セナは、1位のベルガーを追い上げます。

ついに18週目のバックストレートでベルガーを抜き去り、

そのまま独走態勢に入りました。

ここからです。

ファイナルラップのセナの演出がまた見事でした。

僕は、テレビでずっと観戦していました。ファイナルラップでセナは観客に

向かって手を振って、歓声にこたえていました。その時セナは2位にかなりの

差をつけていたんですが、2位のマシンが同じカメラのに入り込んできたんです。

『トラブルでリタイヤしないように、ゆっくり走っているんだろう』

そう思っていたのですが、どんどん2位ベルガーのマシンが近づいてきます。

シケインコーナーでは、セナの後ろにぴったりとついてしまいました。

なんと最終コーナーで2位のベルガーに優勝を譲ったのです。

結果がすべての勝負の世界。まさか優勝という結果を譲るとは思いませんでした。

でも、セナにはもう関係無かったのでしょう。

レースの世界でセナは孤独で、友と呼べる存在は多くありませんでした。

ですが、チームのパートナーである、ゲルハルト・ベルガーはセナの親友でした。

ゲルハルト・ベルガーはいたずら好きで、しょっちゅうセナにいたずらをしていた

そうです。

最初は、嫌がっていたセナも、一緒になっていたずらをするようになって、

だんだん心が打ち解けあっていったのでしょう。

レース直前に2人はある約束を交わしていたそうです。

『第1コーナーをトップで通過したドライバーがそのまま優勝』

確かにその約束を守っただけかもしれません。

でもセナはレース後、常にサポートしてくれたベルガーに対して感謝の気持ち

を話しています。

ベルガーは第15戦日本GPまで未勝利で常にセナをサポートしてきました。

セナはそのベルガーに対して感謝の意味を込めて優勝を譲ったと僕は思いたいです。

その行為には賛否はあるでしょうが、僕は好きです。

今思い出してもトリハダがたちます。

4.まとめ

アイルトンセナの最高のレースはまだまだ他にもたくさんあります。

紹介はまた別の機会にしたいと思います。

アイルトン・セナは最後まであきらめず、夢を追いかけてきました。

資金難でブラジルに帰ったものの、あきらめきれずまたレースに復帰。

その先にあったのは、3回のワールドチャンピオン。

僕も自分の人生をあきらめず、夢をかなえようとあらためて誓うのでした。

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