F1の悲劇~1994年F1サンマリノGPの呪われた週末~③

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1994年のサンマリノグランプリは本当に呪われた週末でした。

初日のルーベンス・バリチェロの事故に始まり、ローランド・ラッツェンバーガーの

死亡事故、スタート直後の観客を巻き込んだ事故、そしてアイルトン・セナの事故。

僕がF1を見てきてこれほどまでに事故が続けて起こるということはありませんでした。

しかし、事故はこれでは終わらないのです・・・

目次

1.サンマリノグランプリの悲劇:止まらない事故

2.サンマリノグランプリの悲劇:アイルトン・セナの死亡

3.まとめ

1.サンマリノグランプリの悲劇:止まらない事故

2度目の再スタート後、地元フェラーリのゲルハルト・ベルガーがトップに立ちます。

ですが、、中断になるまでのタイム合算になるので、実際はシューマッハがトップと

見た目とは違うレースに少し戸惑っていました。

残念ながら、ゲルハルト・ベルガーはハンドリングのトラブルでリタイヤ、シューマッハが

見た目にもトップに立ったのです。

残り10周となった時点で、また事故が発生してしまいます。

タイヤ交換を終えた、ミナルディチームのマシンがピットから出ようとして走り出した

時に、なんとマシンのタイヤが外れたのです!

外れたタイヤが、ものすごい勢いで転がってきます!

フェラーリとロータスチームのメカニックを直撃してしまったのです!

最近のF1はピットイン・アウトするとき、スピードを減速しています。

しかし、この時のF1では特に速度制限もなく、ほぼ全速力で駆け抜けていくのです。

そのスピードでマシンのタイヤが外れたのです。凶器の何物でもありません。

ピットレーンに救急車が入ります。2人のメカニックが病院に運ばれました。

幸い大きなケガでは無かったので、大事には至りませんでしたが、事故の連鎖が

止まりません。

先ほど、最近のピットレーンでの速度制限があるとお話ししましたが、この事故を

きっかけに、ピットレーンの速度制限がつけられたのです。

2.サンマリノグランプリの悲劇:アイルトン・セナの死亡

レースは、シューマッハが優勝。このレースの表彰台では、恒例のシャンパン・ファイト

はありませんでした。また、誰1人として笑顔もなく、ただただ一点を見つめて

いたのです。そして祈っていたことでしょう。

『アイルトン・セナの無事』

みんなが祈っていたに違いありません。

レース終了後、ルノーのテントにアラン・プロストをはじめとする関係者が集まります。

この時、セナは昏睡状態でした。

そして、現地時間午後6時40分に悲しい発表がありました。

『アイルトン・セナ死亡』

僕は、テレビのニュース速報で知りました。

『F1ドライバーのアイルトン・セナ選手は、収容先の病院で死亡

 しました』

これを見た瞬間、

『うそだろ・・・』

『信じたくない・・・』

自然と涙が出てきました。

子供であった僕にF1というスポーツを教えてくれたセナ。

そんなF1を大好きにしてくれたセナが亡くなったのです。

『セナはもういない』

この現実を受け入れるまで、僕は時間がかかりました。なかなか受け入れることが

出来なかったのです。

ウイリアムズのマシンは、ハイテク機器により空力を追及していました。

1994年にそのハイテク機器が禁止されたことにより、マシンはとても扱いづらい

マシンになっていたのです。

またマシンが体に合っていない状態で、ハンドル操作をするとマシンに手を擦る

様な問題ばかりのマシンだったのです。

なので、テストを進め改良を重ねていけば、速くなるのは間違いなかったのです。

マシンに体がぶつかるような状態でセナは走り、シューマッハより速いタイムを

出していたのですから、速くならないわけがないのです。

1994年のチャンピオン争いや、当時は若手のミハエル・シューマッハとの

コース上での戦いをとても楽しみにしていました。

セナもシューマッハが自分の後継者と感じていたかもしれません。シューマッハには

いつもきつく当たっていました。シューマッハもセナの後継者としてセナを倒すべき

目標にしていたことが、衝突の原因だったかもしれません。

ヘルメットを取り、病院へ搬送されたときのセナは、頭部の損傷を除くと体にも大きな

傷もなく表情も『穏やか』だったそうです。

セナの死因は、ぶつかった瞬間にフロントホイールがコックピット内部に侵入して、

ヘルメットに激突し、その衝撃でセナの頭部は跳ね返されて頭蓋骨骨折を負いました。

その時にホイールにつながっていたマシンのサスペンションが、ヘルメットを貫通した

したことが直接の死因と言われています。

そしてセナのコックピットには、オーストリアの国旗が入っていたそうです。

オーストラリアといえば、

『ローランド・ラッツェンバーガー』

の出身国です。

この日、セナはラッツェンバーガーのために走り、そして勝利を捧げるつもりだった

のでしょう。そのことで自分を奮い立たせ、レースへと向かわせたのかもしれません。

セナは、F1の安全性を向上させるために行動をとっていました。

ライバルであったアラン・プロストと話し合い、F1マシンの安全性を向上させるため

協力を頼み、次戦モナコグランプリで再開を約束していたのです。

また、現役のF1ドライバーともF1の安全性を向上させるために、ドライバー

による組織GPDAを再結成することを話し合い、セナ自身がリーダーを引き受ける

ことを提案していたのです。

(GPDAとは、グランプリ・ドライバーズ・アソシエーションの略で、ドライバー

で組織されたF1での選手会組織。安全性の確保のほか、ドライバーの待遇改善

などの活動も行っています。)

自らが先頭に立って、F1を変えていこうとした矢先の事故だったのです。

セナが大好きなモータースポーツで二度とこのような事故を起こしてはならない、

より安全性を確保して、安心してファンに見てもらえるような改革を進めようと

したのでしょう。

僕自身も、ドライバーが安全性におびえ、全力で走れないF1は見たくありません。

多少スピードが落ちても、スポーツは安全であるべきです。

その中で全力の戦いをする。これこそがスポーツです。

3.まとめ

この『呪われた週末』をきっかけに、スピードを抑えるマシンの改良やレギュレーション

の見直しが進められます。

安全神話が完全に崩れ去ったのです。

そして、その改革の先頭に立つはずだったアイルトン・セナの事故死。

F1は、とても大きくて偉大なリーダーを失ったのです。

このレースではセナの死亡が大きく取り上げられていますが、

『ローランド・ラッツェンバーガー』

も事故死しているのです。しかも恋人との結婚を目前に控えながら・・・

もう二度とこのような悲劇を起こしてはなりません。

スポーツで悲しむのは嫌です。

やはりどんなスポーツであれ、楽しく笑いながら見たいですね!

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