F1の悲劇~1994年F1サンマリノGPの呪われた週末~②

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F1の安全神話が崩壊した、1994年サンマリノグランプリ。

次々と起こる事故・・・。予選の2日間連続で起きた事故、しかし決勝でも

負の連鎖は止まりません。

今までに考えられなかった事故が続きます。

前回の記事では、予選までを紹介しましたが、今回は決勝で起きた事故を紹介

します。

目次

1.サンマリノグランプリの悲劇:決勝での事故

2.サンマリノグランプリの悲劇:セナの事故

3.まとめ

1.サンマリノグランプリの悲劇:決勝での事故

前回の記事で紹介しましたが、予選の2日間で2人のドライバーが事故を

起こし、『ローランド・ラッツェンバーガー』が亡くなってしまうという

ショッキングな事故が起きてしまいました。

この時セナは、ドライバー達の中心人物で、先頭に立って動く存在で、

事故現場に必ず足を運んでいます。この時もそうでした。

現場に到着したセナは、友人でもある医療チームのシド・ワトキンス教授と

状況について話をします。するとセナは取り乱しワトキンス教授の肩で泣いた

そうです。そして、セナは予選をやめてそのままモーターホームへ戻りました。

戻ったセナは、恋人にこう連絡したそうです。

『もう走りたくない』

かなり精神的に追い込まれたのでしょう。

ですが、精神的に落ち着きを取り戻してから、また連絡します。

『僕は強いから大丈夫。心配しなくていい』

自分自身をコントロールして、必死に戦っていたのです。

そして、運命の5月1日を迎えます。

レース前のウオームアップ走行中にセナは、ライバルだったある男に

『最後のメッセージ』

を送ります。

その男は

『アラン・プロスト』

『セナ・プロ』と呼ばれ、この二人の確執はみなさんも知っていることでしょう。

セナは、チャンピオン争いの日本グランプリで、2回もプロストのマシンに突っ込んで

います。この2人は本当に仲が悪かったのです。

ですが、ある時この2人は『和解』していたのです。

1993年最終戦、プロストのラストランでのレース終了後、2人は握手を交わし

表彰台でセナがプロストの手を掲げたのです。

このシーンを見て感動しました。

F1関係者のみんながこの2人の和解を期待していたのですから。

僕もそうです。

マシンから降りて、表彰台に向かうまでの間、2人の間には何ともいえない空気が

漂っていました。

そして、セナから手を差し出しプロストと握手したのです!

うれしくて涙が出そうでした!

『なんでもいいから会話してくれ!』

『なにやってんだよ!もう最後なんだぞ!』

と心で思いながら僕も待っていいたのです(笑)

そして、表彰台でも1位のセナがプロストを頂点へ引っ張り肩を抱いて和解した

のです。

なので、1994年のサンマリノグランプリで、この2人の間には何のわだかまりも

なかったのです。

そんな中、セナがプロストに送った最後のメッセージ

『君がコースにいなくて寂しいよ』

『自分を一番わかってくれるのは、君だ』

このメッセージを残し、セナは帰らぬ旅に向かうのでした。

スターティンググリッドでスタートを待つセナの表情は、なんだか弱々しく感じられ

ました。チームスタッフから声をかけられても弱々しい微笑みを返すだけ。

走りたくない自分との戦い、F1を引っ張っていかなければというプレッシャーなど

いろいろな苦労と疲れがあったのかもしれません。

そして、運命のスタート。

セナは、絶好のスタートを決めますが、後ろで大事故が発生したのです。

スタート出来なかった、ベネトン・フォードのマシンにロータスのマシンが突っ込んだ

のです。マシンは大破し、その部品が観客席にまで飛び散ったのです。12人の観客が

重軽傷を負いました。この事故でセーフティーカーが導入され、5周ほど低速走行を

続けたのです。

『またか・・・』

『いつまでつづくんだろう・・・』

ただのクラッシュでなく、観客まで巻き込んでの事故です。

僕がF1を見始めてから初めてかもしれません。

こんなに事故が続くこと、観客を巻き込んだ事故が発生したこと。

見ていてこんなにつらかったレースはほかには無いかもしれません。

この時点で、赤旗の再スタートの決断ができなかったのでしょうか。

セーフティーカー先導のスロー走行では、タイヤが冷えてしまい性能を発揮できません。

赤旗にしたからといって、セナの事故を防げたかというと、それはわかりません。

ですが、続いている混乱で動揺しているドライバーを落ち着かせることは出来たように

思います。

2.サンマリノグランプリの悲劇:セナの事故

セーフティーカーが戻ると、レースは再開。

セナは1位で2位シューマッハを引きはななそうと、マシンの火花を散らしながら、

攻めます。

そして、運命の7週目。

セナのマシンは310km/hを超えるスピードで、タンブレロコーナーに侵入します。

ここで、ミハエル・シューマッハのオンボードカメラに切り替わります。

(オンボードカメラとは、マシンのドライバーヘルメットの近くに設置されたカメラです。
ドライバー目線で走行時の振動、景色を見ることができて迫力のある映像が見れます。)

シューマッハのオンボードカメラは、セナのマシンをとらえています。

激しい火花を飛ばしながら、走行するセナ。

タンブレロコーナーに侵入したところで、セナのマシンが消えました

コーナーを曲がりきれず、そのままコンクリートに激突したのです。

セナのマシンはクラッシュした反動でコース脇まで飛ばされていました。

『またか・・・』

『もういい加減にしてくれ・・・』

しかも、大好きなアイルトン・セナがクラッシュしたのです。

『大丈夫か?』

『はやくマシンからおりてくれ!』

『元気な姿を見せて・・・』

そう祈りながら、見ていました。しかし、セナはぐったりしています。

数秒後ですが、頭が少し動いたのです。

『動いた!』

『これは大丈夫だろう!助かってくれよ・・・』

祈るような思いで見ていました。

ここで、赤旗によるレース中断。

レース医療班が事故現場に向かいセナの救助にあたります。

この時、セナは前頭部を損傷していて、肺にも血がたまっていたそうです。

セナがコンクリートにクラッシュした時の時速は211km/hで、コースアウト

からの約1秒で約100km/h減速したのです。マシンのコントロールを失い

ながら、セナも必死に戦っていたのです。激突の衝撃を少しでも減らすために・・・

ここで、病院へヘリコプターで搬送されます。

『もう二度とF1で死亡事故を起こしてはならない』

F1にい関わる全ての人が、セナに起こる奇跡を信じてヘリコプターを見守りました。

そしてレースが再開されたのでした。

3.まとめ

遂に起きてしまったアイルトン・セナの事故。

世界中のファンが、F1関係者がみんなが、セナの無事を信じ、祈っていたのです。

セナは『走りたくない』と話していたことから、かなり精神的なダメージを負っていた

のでしょう。

ワトキンス教授もセナに『もうやめよう。一緒に釣りにでも行こう』と話したそうです。

ですがセナは『やめることはできない』と言い、レースに臨んだのです。

セナはずっと戦っていました。心の中で戦い、打ち勝ってレースに臨んだのです。

自分がF1を引っ張り、リーダーとしての責任もあったのでしょう。

このとき、セナを含め一度F1の安全性について話し合ってレースの中止を決める

勇気があればセナの事故は防げていたかもしれません。

次回もまた1994年サンマリノグランプリの悲劇をご紹介します。

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